──家族はお仕事に賛成だったんですか。吉田 それが我ながら体当たりだなと思うのは、写真集のお仕事が決まってから家族に打ち明けたんです(笑)。
──それまでは内緒だったってことですか?吉田 そうです。デビューして間もなく写真集が決まったので、それほどの期間ではないんですけど、写真集となると18歳未満なので親の許諾が必要で、もうだいたいの話を先方とつけた後に「さあ、どうですか?」って感じで親に伝えました。そのときは渋々で許可してくれました。写真集を出してから、父の知り合いに有名なカメラマンさんがいて、その方に写真集を見せて「この先もこの世界でやっていけそうですか?」と相談したみたいなんです。そうしたら、その方が「いいんじゃない?」って軽いノリで仰ったらしくて、それ以降本格的に応援してくれるようになりましたね。
──高校時代、将来も芸能界でやっていこうという気持ちはなかったんですか?吉田 先々もお仕事が出来るとは思っていなかったので、まったくなかったです。幼かったからもあると思うのですが、当時は刹那的にお仕事をこなしていくことしか知らなくて。どうしたら仕事が来るか、という戦略も考えたことがなかったです。口を開けてオファーを待っているだけの状態でした。だから今の子は自発的にSNSなどでアプローチする事が当たり前な方達が多いと思うのですごいなと思います。
──いつ頃からプロ意識が芽生えたんですか?吉田 大学卒業が間近に迫ってからです。周りが就職活動をしていく中、本当に切羽詰まってから「どうしよう……」と。ほかの道も考えたりはしたんですけど、まだ辞められないなって自分の中でたぎる思いがありました。
──高校時代は刹那的だったのに何があったのでしょうか。吉田 当時所属していた事務所の社長さんが、「芸能を辞めた女の子って絶対に戻ってくる。一度スポットライトを浴びると忘れられなくなるんだ」という話をしていて、実際に一度辞めてから戻ってくる子も多かったんです。その話を聞いて「なるほど」と。未練があっていつか戻るぐらいなら、もう少し頑張ろうと思って、大学卒業後も続ける覚悟ができたんです。
>>2回目
「グラビア一筋18年、吉田早希が語るゲームとインターネット」はこちら(取材・文/猪口貴裕)
▽吉田早希(よしだ・さき)6月7日生まれ。164センチ。B型。Hカップのまるで山のような豊満バストから「吉田山」の愛称で親しまれているグラビアアイドル。
Twitter:@yoshida_sakiInstagram:mt_yoshida