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UPDATE|2021/08/11

蛙亭・イワクラが語る上京後の激動「ひな壇が難しくて何じゃこの世界!って」

蛙亭・イワクラ 撮影/西邑泰和

「第7世代フィーバー」に沸くお笑い界に彗星の如くニューカマーとして登場し、テレビでも結果を残し続ける男女コンビ・蛙亭。その独創的なコントの「頭脳」である岩倉美里、改め「イワクラ」が、大阪での苦労時代から現在まで、サクセスストーリーの一部始終を語る。(前後編の後編)

【前編はこちら】蛙亭・イワクラが芸人を目指した理由「小学校のときなんばグランド花月を見て感動」

【写真】お笑い界のニューカマー蛙亭・イワクラ

ーー大阪時代について聞かせてください。NSCに入ったときはコンビではなく1人だったんですか?

イワ 最初はピンでコントをやってました。だけどネタ見せで人前でしゃべるのも恥ずかしいし、声も小さくて先生に「何て言ったのか分からなかった」とか言われてましたね。NSCにはクラスの人気者みたいな人が集まってきていて、そういう人が何か言ってみんなが笑ってる。でも私は全然それが面白くない、みたいな感じが続いて。「あ、辞めた方がいいかも」って、入学して2、3カ月で挫折しかかっていましたね。

ーー立ち直ったのはコンビを組んでからですか?

イワ 6月くらいにコンビを組んでない人が集まる「相方探しの会」というお見合いパーティーみたいなのがあって。そこでの大喜利を見て、進行役だった1期上の先輩と、今の相方の中野さんが「面白かった」って言ってくれて、それで本当に救われましたね。それが無かったらフェイドアウトしてたと思います。そこから中野さんと仲良くなって、「お互いにコンビを組みたいと思ってるけど、どっちがそれを言うか」みたいに探りあう感じになり(笑)、結局8月くらいに私が言いました。中野さんと組んだら一生「面白かったね」って言ってくれそうだったので(笑)。

ーーコンビ結成以降は、ネタ作りはどうなりましたか。

イワ 最初は設定を出し合ってコントを作ってたんですけど、「漫才にした方がイワクラの変なキャラが出る」って先生に言われて、漫才を作り出して。ただ、中野さんが自分で考えた漫才を持ってきたんですけどそれがめちゃくちゃ面白くなくて。「これヤバいな」って思ったんでそこからは私がわりと主導権を取るようにしました。それで、劇場のネタバトルみたいなときに、単独用に作ったコントが初めて上位になって。それが続いたのでそこからはまたコントをやるように……。


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