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UPDATE|2021/09/08

ダンカンが『元気が出るテレビ』青春時代を語る「たけしさんがくだらねえなあって笑う姿が嬉しくて」

ダンカン 撮影/西邑泰和

〝たけし軍団〟の一員であり、放送作家としての顔を持つダンカン。かつて自身が手掛けた、伝説のテレビ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)や『風雲! たけし城』(TBS系列)などの手書きの企画書が発掘され、今回、一冊の書籍『ダンカンの企画書』(8月30日発売/スモール出版)となった。1980年代半ば〜90年代半ばの、現在では考えられない“規格外”なテレビ業界について、また裏方としても携わった師匠ビートたけしの番組について話を聞いた。(前後編の後編)

【前編はこちら】ダンカンが語る90年代テレビ業界の豪快伝説「あの頃のテレビって自由だったんだなぁ」

【写真】ダンカン直筆『風雲! たけし城』伝説の企画書

――ダンカンさんが『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などの放送作家をされていた時代、あまり睡眠時間がなかったんじゃないですか?

ダンカン 1日3時間くらい寝てたのかな……。週に2回くらいは7時間くらい寝られたんだろうなとは思いますが、それでも、寝てる暇あったら、仲間たちと飲みに行ったり、くだらないことを考えていたいと思っていました。水道橋とか玉袋(筋太郎)とか、佐竹(チョイナチョイナ)とかと一緒に。暇があると佐竹に電話して、「いつもの飲み屋に、あの人いるかな? 浴衣でゴルフバック背負っているいつもの人」なんて振ると、その恰好でいつもの飲み屋に佐竹が仕込んでいるんですよ(笑)。そんなことばっかでした。

――極限の中で青春を楽しんでたのですね(笑)。たけしさんの番組をよくやられていて、たけしさんから褒められた企画はありますか?

ダンカン 『元気が出るテレビ』が、日曜の夜放送で収録が月曜。俺は袖でお客さんから見えない場所で観覧しているんですね。モニターを見てる時に、たけしさんが「くだらねえなあ!」って言いながら、笑っている顔を見られるのが僕の嬉しさでしたね。そのかわり、面白くなければロールチェンジの時に、「アレはダメだよ、(テリー)伊藤に言っとけよ!」って言うんですよ。


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