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UPDATE|2021/10/07

カンニング竹山が語る福岡吉本時代「天狗になっていたあの頃、同期・華大の一言に涙」

カンニング竹山 撮影・西邑泰和



――30年も芸人を続けると思っていましたか?

竹山 売れるか売れないかなんてわからなかったので、想像してなかったですね。

――竹山さんは、小学生時代の同級生と組んだコンビ、ター坊ケン坊時代に『お笑いめんたい子』で1位になって、福岡吉本に1期生として入りますが、その時は「俺たち、天下取れるな」という感覚はなかったですか?

竹山 その頃は「福岡で一番面白いんだ」と、めちゃくちゃ天狗になってました(笑)。「このまま売れて、全国放送の番組に出られるんでしょ」と思ってましたから。ただ、早い段階で「ここにいても東京につながらないぞ」と気がついたんです。そもそも関東芸人になりたかったのに、吉本に入ったら関西芸人の括りになってしまう。それで、逃げるように上京したんです。

――竹山さんが東京でくすぶっている間に、同期の博多華丸・大吉さんは福岡のスターになっていくわけですが、どんな感情を抱いてましたか?

竹山 母親には「(福岡吉本を)辞めなければよかったのに」と言われたけど、「俺は東京で戦っているんだ」という自負があったし、後悔はしていませんでした。ただ、華大が『爆笑オンエアバトル』(NHK)に合格するようになってから焦り出して。僕らは『爆笑オンエアバトル』なんて出られるような芸人ありませんでしたから。でも、しばらくしたらカンニングが一気に売れて、福岡吉本に対しては「ほら見たことか」という感情になったんです。

その頃、華大がMCを務める福岡の番組に呼ばれて。収録後に飲みに行くと、カンニングがブレイクするきっかけとなった『めちゃ×2イケてるッ!』(フジ系)の放送を華大は正座しながら観て、「ター坊、頑張れ!」と応援していたと聞かされたんです。

俺は10年間、人を恨むことばっかり考えていたのに、みんなはそうじゃなかった。「俺はなんてくだらない人生を過ごしてきたんだ」と涙が出てきたんです。その後、華丸さんが『R-1』(フジ系)で優勝したときも、2人が『THE MANZAI』(フジ系)で優勝したときも素直に喜びました。もはや『あさイチ』(NHK)なんて、「俺だったら毎朝、NHKに行くのは嫌だな。」と思ったくらい。そもそも俺にはこない仕事だけど(笑)。

福岡吉本の1期生は人数こそ多くないですけど、今もほとんどが生き残って芸で食えているんです。すごいことだと思います。ただ、俺が福岡でお笑いをやっていたのは1年だけで、東京のほうが全然長い。「福岡芸人」と言われると、申し訳なさと煩わしさの両方がありますね。


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