FOLLOW US

UPDATE|2022/05/28

運動神経も身長も劣っていた、それでもKAIRIがWWEで成功した理由「渡米直後は毎日涙」

撮影/関根いおん

女子プロレス団体・スターダムの看板選手だった宝城カイリが、世界最高峰の団体・WWEと契約を結んだのは2017年のことだった。米マットではカイリ・セインと名前を変え、女子タッグ王座やNXT女子王座を獲得するなど八面六臂の活躍を見せる。そして世界規模のスーパースターとなった彼女が次に選んだ道は、古巣・スターダムへの復帰。今度はKAIRIと改名し、3月の両国国技館大会2連戦に電撃出場したのだ。なぜこの決断に至ったのか? アメリカで直面したプロレス文化の違いとは? 今後、何を目指していくのか? 5月28日(土)のスターダム大田区総合体育館大会にも参戦するKAIRIが洗いざらい胸中を語った。(前後編の後編)

【写真】3月の両国国技館で電撃復帰、KAIRIの撮り下ろしカット【11点】

──後編ではアメリカ時代のお話をお聞きしたいのですが、まず知らない方のために、そもそもアメリカに渡った経緯から説明お願いできますか?

KAIRI 今から5年くらい前のことになるんですけど、一番大きかったのは「アメリカでプロレスをより深く学びたい」という気持ち。一流の世界に触れて成長したいということで、WWEに行くことを決めたんですね。ただ、当時の私は団体の中で選手会長をやっており、白いベルト(ワンダーオブスターダム)のチャンピオンでもありました。その頃スターダムは一気に選手の人数が減ったりして、存続の危機を迎えていたんです。そこからなんとか残ったメンバーで必死に立て直して、後輩も頼もしく成長。バトンタッチの準備が整ったと思ったタイミングで移籍することを決めました。

所属選手の人数が少なくなったときに外国人選手と対戦する機会が増えたり、(岩谷)麻優さんや(紫雷)イオさんと一緒にアメリカやヨーロッパに遠征して試合することも多くなって。そこでお客さんが盛り上がってくれている光景を見て、海外でやってみたいという思いに繋がった部分はあります。

──スターダムは昔から海外での展開にも力を注いでいましたからね。

KAIRI それは大きかったと思います。あとは根本的に「現状維持のままではいけない」という焦りのようなものがあったんです。麻優さんやイオさんは器用だし、受け身や飛び技もうまい。それに比べて私には何があるのか?どのスキルを磨いていけばもっとレベルアップできるのか?ずっと悩んでいました。だからこそ、思い切って環境が違う世界に飛び込むことで自分を一から鍛え直したいと考えたんですよね。

──日本で見ていると、アメリカに渡ってからはトントン拍子でスターになった印象があったのですが、実際はいかがでした?

KAIRI トントン拍子なんて、とんでもない! たしかにそう言われることはあるんですが、実際は本当に試行錯誤と苦労の連続で…渡米直後は泣いてばかりでしたから。

──そうだったのですね。
AUTHOR

小野田 衛


RECOMMENDED おすすめの記事