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UPDATE|2022/06/25

「プーチンは退かない」軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏が見てきたプーチン・ロシアの本質と野望

写真◎getty images

2022年2月24日に勃発した、ロシアによるウクライナ全面侵攻から3ヶ月が経つ。戦局が膠着する中、ロシア軍によるウクライナ住民への虐殺・民族浄化が明らかになり、プーチン政権への国際的批判は絶えない。だがプーチン大統領の好戦性は今に始まったものではないと、このほど著した「プーチンの正体」(宝島社新書)でプーチン・ロシアの本質に迫ったのが軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏だ。見過ごされてきたプーチン政権の本質と、彼の「仮面」を聞いた。(前後編の前編)

【関連写真】1970年、サンクトペテルブルクでのパーティー中に、クラスメートと踊るプーチン

――黒井さんは開戦前から、プーチンの危険性をSNSなどでも発信してきました。プーチンと彼の体制は突然豹変したものではなく、首相就任(1999年)の頃から着々と形成させていったものだと「プーチンの正体」でも指摘しています。

 私は1980年代から世界の安全保障をウォッチしてきましたが、ウラジーミル・プーチンのことを初めて知ったのは1998年、彼がロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任した頃です。当時彼は無名の官僚で、旧ソ連のKGB出身の若い人物、元スパイということでまずどんな人物なんだろう?というところから始まりました。

 翌年の1999年8月には首相になり、この時点でようやく次期大統領としてロシア国外から注目されるようになります。私も本格的に軍事雑誌の連載でプーチンのことを書き始めました。ただ、この頃の関心は彼のロシア国内での権力掌握と強権的手法などでした。

――2000年の大統領就任時点で47歳。ソ連崩壊後の混乱やエリツィン政権の腐敗を観てきたロシア国民にとっては、プーチンは若く期待できる指導者と思われたようです。

 既にプーチンは今につながる、目的のために犠牲を厭わない強引な手腕を発揮していました。チェチェン紛争ではテロリスト掃討の名目でチェチェン共和国の民間人を虐殺し、敵対するオリガルヒ(新興財閥)を追放し、KGBの人脈を用いて政敵のプリマコフ派を追い落とすなどしていました。しかし、特にエリツィン・ファミリーの不正を追及しないと約束するなどしてエリツィン大統領の信用を得て、いわば猫をかぶってモスクワ中枢で権力を掴んだのです。

 それでも大国ソ連が消えてしまい、エリツィン政権下で社会の混乱を見てきたロシア人にとっては、彼が自分自身でアピールする”強い指導者“イメージは評価されました。

 オリガルヒの摘発でロシア国民から人気も出ました。実はもうその頃から国内では反プーチンのジャーナリストを暗殺するなど暗黒政治をやっていたのですが。

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