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UPDATE|2022/06/25

「信頼できる親日家」軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏が語るプーチンを誤解し続けた日本の政界とメディア

写真◎getty images

20年以上にわたり、ロシアの全権力を掌握してきたプーチン大統領。今では全世界から非難と怨嗟の的になっているが、かつては「親日家」「ロシアを復活させた力強い指導者」として日本でも好意的にみられていた。なぜそんなイメージも流布されてきたのか。「プーチンの正体」(宝島社新書)を著した軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏へのインタビュー後編では、ロシアに翻弄されてきた日本の外交とメディアが陥ったワナについて聞いた。

【関連写真】1970年、サンクトペテルブルクでのパーティー中に、クラスメートと踊るプーチン

――「プーチンの正体」でも書かれていますが、ロシアの本音は北方領土を1島たりとも返還する気はない、と。なのに日本の政治家やメディアは過度な期待を抱いてきたのはなぜでしょうか?

 きっかけは、プーチンの大統領就任後の2001年3月のプーチンと森喜朗首相(当時)の首脳会談でのイルクーツク声明です。この時、ロシア側は日ソ共同宣言(1956年)が平和条約交渉の“出発点”であることを確認しただけで、共同宣言に明記されていた2島引き渡しは明言していません。しかし日本側はプーチンなら返還交渉の相手として信頼できる、少なくとも歯舞・色丹の2島は返す気だという期待が政界・外務省・学会・メディアの間に強くありました。

 私はプーチン政権が領土返還への具体的な言及を故意に回避していることを軍事専門誌やWEBメディアなどでは書いてきましたが、政府でもメディアでも、ほとんどそのことは指摘されませんでした。もちろん領土返還は日本国民の悲願ですが、その難しさをメディアで指摘するのはなかなか難しい“空気”もありました。ロシア側の態度から実際には返還の見込みはなさそうだとは書きづらいわけです。

――そうした日本側の過度な期待はなぜなんでしょう?

 交渉という“相手がいる問題”に対して、自らに都合よく考える姿勢がそもそも的確ではなかったのだと思います。ロシア側は日本政府を取り込む目的で、「1島たりとも返さない」とは明言しません。「島を返す」という言質を明らかに回避しながら、日本側が勝手に期待するように「平和条約交渉を進めよう」とチラつかせるわけです。ところが、日本側は「否定しないということは、少なくとも2島は返還するつもりだ」と考えました。ロシア側はひとことも島の返還など明言していなかったのですが。

 ロシア側はたとえば「4島返還に固執する日本政府の姿勢が交渉停滞の大きな原因」だとか「島を引き渡したら米国が基地を置くのだろう」などという言い方をときにしてきたのですが、そうかと言って「2島返還で手を打つべきだ」などとは決して言わない。その意味するところは「1島返還すら約束を避ける」ということです。

 ところが、日本側は自分たちに都合よく考え、少なくとも2島はかえってくると思い込み、それが政界でもメディアでも定説化しました。首脳会談などのたびに領土交渉が進展しているかのように期待させる記事がメディアでは定期的に掲載されましたが、実際には1ミリも領土返還は進みませんでした。そもそも日本側では領土返還交渉進展のニュースが流れても、ロシア国内ではそんな話は一切ありませんでした。

 プーチン政権が領土返還交渉に前向きだと誤解していれば、日本政府としては「プーチン政権と敵対するのは得策ではない」という判断になるでしょう。そのため、プーチン大統領の機嫌を損ねるようなことは避けようとなります。

 クリミア侵攻や亡命者暗殺未遂などでプーチン政権が西側各国から批判されても、日本政府は首脳会談を重ね、そのたびにプーチン大統領に好意を示し、首脳間の親密ぶりを強調し続けました。この点で、とくにプーチンとの親密ぶりをアピールした森喜朗元首相や安倍晋三元首相への批判がありますが、彼らがそうした判断をしたのは、そもそも「プーチン大統領は領土返還に前向き」との誤認識が根底にあり、それは外務省も同様です。安倍政権の後期には外務省も「なかなか難しい」との判断に転じたようで、日露交渉も経産省出身の官邸幹部が中心になって進められましたが、外務省もそれ以前はプーチン大統領が2島返還すると考えていました。 

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