FOLLOW US

UPDATE|2022/07/28

フリーアナ&気象予報士・中川祐子、グラビア挑戦で“奇跡の50歳”と呼ばれるまで

中川祐子 撮影/松山勇樹

42歳でグラビアデビューを果たし、年齢を全く感じさせない美貌で話題となったフリーアナウンサーの中川祐子。今年5月には、5枚目となるイメージDVD『Bright Tears ~夢であなたと~』をリリースした“奇跡の50歳”に、いかにしてグラビアに挑戦することになったのか、その軌跡を聞いた。(前後編の前編)

【写真】“奇跡の50歳”中川祐子の撮りおろしカット【10点】

──中川さんはそもそも、どんな経緯で芸能活動を始めたんですか?

中川 大学卒業後は総合商社に一般職で入ったんですけど、単純作業が苦手なのでコピーを取るとかお茶くみとかの仕事が向いていなくて(笑)。それで私の仕事ぶりを見かねた上司が「英語がしゃべれるなら、社内の外国人に日本語を教えてみないか?」と新しい仕事を任せてくれたんです。それで教壇に立ってみたら、人前でしゃべるのが楽しいと気が付いて。だからそういう仕事が自分には向いているのかも、と思ってアナウンサースクールに入りました。

──社会人になってからアナウンサーを目指したんですね。

中川 それで25歳の頃かな、アナウンサースクールで勉強していたときにアナウンサー事務所にスカウトされて。事務所に入ってすぐ、NHK教育の番組『3か月英会話』のオーディションに受かって、アナウンサーデビューを果たしました。とんとん拍子ですごくラッキーだったと思いますね。

──その後はどんな活動をされたんですか?

中川 いろいろやったんですけれど、大きいのは『モーニング天気』(TBS)という朝の情報番組です。その番組で天気予報に興味を持ち、気象予報士さんに「天気を勉強してみたい」と話をしたら、「気象予報士の資格取っちゃえば?」と言われたので、すごく軽い気持ちで勉強を始めたのですが……これが大変で(笑)。当時はそんなに難しい資格だと知らなかったんですよ。

──気象予報士は合格率5%前後という難関ですからね(笑)。

中川 当時も合格率4%くらいで、3年かかってようやく受かりました。せっかく資格を取ったんだし活かした仕事がしたいとは思いつつ、年齢はすでに35歳。気象キャスターとしてやるのは年齢的に難しかったんです。そんなときに、「NHKの国際放送局で英語の天気予報の原稿を書く仕事をやってみないか」と誘いがあって、出るのではなく裏で原稿を書く仕事を始めました。

──そこで一旦裏方に回るんですね。それはどのくらいの期間やられていたんですか?

中川 2〜3年ですね。でも貴重な仕事ですごく楽しかったです。結婚したのもちょうどその頃。お仕事を通じて出会った方なんですけど、出会ってから3カ月でプロポーズされました(笑)。私は仕事が好きなので、「仕事のことを何でも許してくれるなら」と条件をつけたんですけど、すんなり受けてくれたので、結婚に至りました。

──まさに仕事もプライベートも充実の日々ですね。

中川 でも私は少し飽きっぽいところがあって。裏方の仕事を続けるうちに、また表に出る仕事がしたいなと思うようになったんです。そんなとき、たまたまウェザーニュースで気象キャスターの募集があって、これが珍しく年齢制限がなかったんです! だから「もしかしたらチャンスかも!」と思って応募して合格しました。これが39歳のときです。

CREDIT

取材・文/徳重龍徳 撮影/松山勇樹


RECOMMENDED おすすめの記事