FOLLOW US

UPDATE|2022/07/26

ミスターデンジャー松永光弘が師匠・青柳政司を偲ぶ「まだ茫然…本当に大きすぎる存在」

松永光弘

誠心会館の館長を務めていた青柳政司が7月6日に急死し、マット界に大きな衝撃をが走った。今回、『FMWをつくった男たち』(彩図社・刊)の著者であり、元週刊プロレス記者の小島和宏が、青柳政司と師弟関係を結んでいた元プロレスラー、ミスターデンジャーこと松永光弘を直撃。師匠へのあふれんばかりの思い、そしてFMWに参戦した当時の裏話を聞いた。


7月6日、空手家で誠心会館の館長を務めていた青柳政司さんが亡くなった。享年65。突然の訃報にマット界は衝撃に包まれたが、格闘技ファンよりもプロレスファンのほうが青柳館長への思い入れが深い人が多かったはず。

平成元年7月2日、後楽園ホールで開催された『格闘技の祭典‘89』において青柳館長は大仁田厚と異種格闘技戦で激突。日本人同士による異種格闘技戦、しかもプロレスvs空手という形式は当時としては前代未聞であり、多くのファンの注目を集めた。そして、この対戦の流れから、大仁田厚は新団体・FMWを設立。名古屋と後楽園でおこなわれた旗揚げ戦では、大仁田vs青柳の遺恨決着2連戦が敢行され、それまで日本マット界には存在しなかったインディペンデント団体の船出を血戦で染めてみせた。

まさに大仁田厚にとって、青柳館長は「初代ライバル」であり、青柳館長の存在なくして、その後の大ブレイクはあり得なかった、といっても過言ではない。

当時の舞台裏を描いたドキュメント本『FMWをつくった男たち』(彩図社・刊)でも、青柳館長は「FMWをはじめさせてくれた男」として登場するが、文字通り、はじめさせてくれただけで、わずか2試合のみでFMWのリングを去ってしまう。たったそれだけしか参戦していないのに、30年以上が経った今でも語り草になっているのだから、いかに大仁田厚との異種格闘技戦がインパクト絶大な闘いだったのかがわかろうというもの。そして、当時、一緒にFMWに参戦し、その後も行動をともにしたのが誠心会館所属の空手家だった松永光弘だった。

AUTHOR

小島 和宏


RECOMMENDED おすすめの記事