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UPDATE|2022/08/20

1本のデモテープが松田聖子を生んだ、デビュー前から支えてきたプロデューサーが語る聖子との奮闘記

松田聖子1stアルバム『SQUALL』(手前右)

1980年代の幕開けとともにデビューし、時代のアイコンとして40年以上を駆け抜けてきた松田聖子。デビュー前、1本のカセットテープから彼女を見出したプロデューサー、若松宗雄氏による『松田聖子の誕生』が新潮新書から7月19日に刊行された。

既に語り草になっているエピソードも含めて、福岡の少女・蒲池法子が強い意志で音楽への道を切り開き「松田聖子」として羽ばたいていく日々が、間近で彼女を支えてきたプロデューサーの視点でつづられ、当時の音楽界の歴史と活気を伝える1冊にもなっている。今明かされる80年代音楽史の秘話とは。

【写真】デビュー前の松田聖子の歌声が収められた実際のデモテープ

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のちに「松田聖子」となる少女のストーリーは1978年から始まる。この年の春、雑誌『セブンティーン』の「ミスセブンティーン・コンテスト」九州地区大会で優勝したのが蒲池法子。ところが彼女は東京での本選を辞退していた。この時、彼女が歌った桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」のデモテープを聴いて「すごい声を見つけた!」と思ったのがCBS・ソニーのプロデューサーだった若松氏だ。

1969年にCBS・ソニーに入社し、営業畑から企画畑に転じて4年目だった若松氏。最初の担当はキャンディーズで9枚目シングル『春一番』から15枚目『アン・ドゥ・トロワ』まで文字通り全盛期を担当していたが、彼女たちは1978年春に解散。新たなスターを探してデモテープの山と格闘していた時の出会いだった。

「聖子の声は世界観がはっきりしていたんです。上手い人はいても、世界観を作れる人はほとんどいない。僕は歌はやはり言葉だと思っていて、歌詞の世界をハッキリと表現して伝えられる人でないと、聴き手に響いてこないんです。聖子の歌は歌詞の世界をすごく鮮明に伝えられる、そういう純粋さがありました。1978年の春に初めて会った時も、世間の雑念が一切混じっていない、思いの突出した存在だなと感じたんです。僕もたくさんのデモテープを聞いてきたけれど、程よく歌えるだけでは売れない。聖子が突出していたのは歌えること以上に、本人の持っているピュアさを歌声に乗せられるところにあった」

山口百恵と入れ替わるようにデビューした聖子、2人のスター性の違いは70年代と80年代の時代の違いにもしばしば例えられるが、若松氏は2人の歌声を「2人とも素晴らしいんだけど、百恵さんの表現は、色でいえばモノクロで映像が展開される感じ。一方聖子の歌は、ピュアで淡いピンクのイメージがしますね」と評する。

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