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UPDATE|2019/02/10

日本経済がどん底に落ちた1997年のあの日、モーニング娘。は誕生した

モーニング娘。と山一證券、モーニング娘。と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開!

 1997年11月のその日、テレビをつけるとスーツに身を包んだおじさんが1人、カメラの前で泣いていた。

伏線はその月の始めからすでに張られていた。 11月3日、準大手証券会社の三洋証券が経営破綻。主な倒産要因はバブル期の放漫経営だが、破綻前の再建計画を全うできなかったのはバブル崩壊後の平成不況、いつまでたっても出口の見えない日本経済の低迷がその運命に大きく影響していた。

さらにそれからわずか2週間後の11月17日、今度は北海道拓殖銀行が破綻。 都市銀行として北海道の地域経済を長年支えた〝拓銀〟は三洋証券と同様に、やはり放漫経営と不況の逆風に堪えきることができず、戦後初の都市銀行破綻としてその名を日本経済史に刻む。

そして1997年11月24日、あの記者会見は開かれる。

「私らが悪いんであって……社員は悪くありませんから! どうか社員の皆さんに応援をしてやってください! お願いします!」

カメラの前に座ったのは直前に自主廃業を決めた大手証券会社・山一證券の最後の社長、野澤正平だった。黒のスーツに身を包み、創業100年の栄華と前経営陣が隠し続けた約2648億円の帳簿外債務という現実を1人背負った野澤は、「これだけは言いたい」と前置きすると目を真っ赤にしながら、最後の力でマイクを握りしめて叫んだ。

――その野澤の慟哭から1時間30分前、東京から遠く離れた北海道の札幌キリンビール園。

「残り約2万5千枚になりました! 地元北海道の皆さんの力で、私たち5人をデビューさせてください! よろしくお願いします!」

 同じ1997年11月24日の朝、すでに1度まで冷え込んだ秋空の下、控室の5人の女性もまた、極度の不安と緊張でうつむいていた。

AUTHOR

乗田 綾子


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