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UPDATE|2019/02/10

日本経済がどん底に落ちた1997年のあの日、モーニング娘。は誕生した

「私には歌しかないから」



「これからですか? とりあえず今の生活からは抜け出したいんで、人生冒険します」

 そう話したのは1973年生まれの中澤裕子、彼女は当時24歳の団塊ジュニアである。  バブル崩壊直後に高校を卒業した中澤は、大阪市内でOLとホステスのダブルワークをこなしながら、歌手になりたいという長年の秘めた思いを叶えるために、年齢の不安を抱えながら勇気を出してこのオーディションに参加した。

「私には歌しかないから、売れなくても好きな音楽をやっていけたら」

 こちらは1984年生まれの福田明日香の言葉。  当時12歳の彼女は、昭和と平成の狭間に生まれ育ったポスト団塊ジュニアにあたる。周囲にうまくなじめずにいた小学生時代、福田はとある劇団の試験に合格したことが転機となり、初めて小さな自信を覚える。そしてその先にあったのが中1の春に発表された、ASAYANオーディションの告知だった。

 しかしその終幕、年齢も故郷も違う彼女たちに付けられたテロップは皆同じ、「残念」というたった2文字の言葉だった。  それでも中澤も、福田も、同じオーディションに参加していた石黒彩も飯田圭織も安倍なつみも、落選を語る表情は悲壮感をまったく感じさせない、むしろとても穏やかな笑顔であった。

 1997年のあの頃、私たちは皆、平気なふりをして生きていた。  自分たちの生きる時代が光から外れた影であることにだんだん気づいても、平気なふりをして、日々歩いていかなければならなかった。  みんな必死に、影を受け入れて日々を生きていた。  そんな中でカメラが映し出した、溢れる感情をさらけだした男性の涙、泣き方を忘れた女性たちの笑顔。それは目の前で光が消えていった時代のリアルであり、見つからない明日の答えを探し続ける90年代の私たちの人生、そのものでもあった。

 90年代の記憶がひと昔前のものとなった今、当時の視聴者の1人としてふと思うのは、あの頃の日本が敗北の歴史だったとしたら、そこに生きていた人間の物語とは、敗北を受け入れた後に始まったすべての再生の物語だったのかもしれない、ということである。

 そしてその思いは、あの敗北の瞬間に居合わせた者たちが1つ、また1つと記憶を重ねていった、20年のストーリーのその先で、少しずつ確信に変わっていくのである。
モーニング娘。インディーズデビューシングル『愛の種』 (1997年11月3日発売)
AUTHOR

乗田 綾子

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