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UPDATE|2019/04/24

平成アイドル史のターニングポイントを考える「アイドル冬の時代を終わらせたモーニング娘。」

1998年リリースのモーニング娘。メジャーデビューシングル『モーニングコーヒー』


──『サマーナイトタウン』や『抱いてHOLD ON ME!』など、初期モーニング娘。の楽曲は大ヒットしましたけど歌謡曲テイストが満載ですからね。

小野田 どちらかというと地味で暗いですよね。むしろアルバム曲の方が派手な印象で、後のハロー!プロジェクトが得意とするR&B色やポップ感はなかった。つんく♂さんの歌唱指導も癖が強くて、明らかにおかしいですしね(笑)。ただ最初は、それがウケたんです。『ASAYAN』自体もモーニング娘。の泥臭い部分を露悪的に見せていましたけど、当時の関係者に話を聞くと、台本はなかったらしいんです。大量のカメラを回して、恣意的にインパクトのあるシーンを使ってはいたんですけど、ヤラせはなかったと。ただ、つんく♂さんが、そういう泥臭い演出に導いていたらしいんです。関西出身でバラエティ好き、しかもアイドル好きのつんく♂さんによるサービス精神がハロプロイズムの根源にあるんですよね。

──初期モーニング娘。が国民的アイドルへと走りだすきっかけは何だったんでしょうか。

小野田 1999年7月14日に、モーニング娘。の『ふるさと』と、同じ『ASAYAN』出身だった鈴木あみの『BE TOGETHER』が同日発売ということで、直接対決だと『ASAYAN』で煽られたんです。『ふるさと』は実質的に安倍なつみのソロ曲ですが、結果から言えば鈴木あみが1位、モーニング娘。が5位と完敗でした。あと『抱いてHOLD ON ME!』はオリコンで首位を獲得して大ヒットしましたけど、その後のシングルは徐々に順位を落としていたんです。運命のいたずらですが、ここでモーニング娘。の方向性を変えざるを得なかった。そこに後藤真希という逸材が入って来て、そこからのカウンターで『LOVEマシーン』を世に送り出した訳です。

──いきなりのディスコサウンドは、後藤真希のスター性も相まって衝撃的でしたよね。

小野田 ただ『LOVEマシーン』自体はつんく♂さんが1993年にシャ乱Qのために作った没曲なんですよね。もともとはギター1本で作ったいなたい曲を、ダンス☆マンの編曲によってダンスチューンとして生まれ変わったんです。その後も『恋愛レボリューション21』や『ザ☆ピ~ス!』など、ダンス☆マン編曲でヒット曲を量産しますが、2002年の『そうだ! We’re ALIVE』で、このコンビは最後になります。


CREDIT

取材・文/猪口貴裕

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