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UPDATE|2019/04/24

平成アイドル史のターニングポイントを考える「アイドル冬の時代を終わらせたモーニング娘。」

1998年リリースのモーニング娘。メジャーデビューシングル『モーニングコーヒー』


──いずれもヒットしていたので、なぜダンス☆マンを起用し続けないのか当時は疑問でした。

小野田 しかも、そのあたりから以前ほどのヒット曲を出せなくなったので、つんく♂さんではなく、アレンジャーがすごかったのではと揶揄する声もありました。ただ後にダンス☆マンさんに聞いた話だと、つんく♂さんは細かくアレンジの指示を出していたそうなんです。すでに曲の完成形が頭の中にあったみたいなんですね。曲のアレンジに限らず、衣装や振付に至るまで、つんく♂さんは細かく口を出していたみたいですけどね。だったら、なぜダンス☆マンを起用し続けなかったのか。その理由はつんく♂さんはアーティストだから、たとえ売れていても同じことをするのが嫌だったと思うんです。でも、そうして変わり続けたからこそモーニング娘。は今も続いているんですよね。

──メンバーの卒業と加入を繰り返すのもモーニング娘。から始まったことですよね。

小野田 1999年4月18日に東京厚生年金会館で行われた福田明日香の卒業コンサートで、中澤裕子が「これから7人になるけど、モーニング娘。は永久に8人です!」みたいなことを言ったんです。ところがその4カ月後に、あっさり後藤真希が加入(笑)。まぁそれも発明ですよね。当時はモーニング娘。が何年も続くなんて誰も思っていなかったはずなんです。なにせ、それまでのアイドルグループには前例のないことでしたから。

──破壊と再生を繰り返すことで、モーニング娘。は生き残った訳ですね。

小野田 あとモーニング娘。が国民的アイドルになったのはネット文化も大きかったと思うんです。ちょうどデビュー直後にWindows 98が発売されて、パソコンが家庭に普及していった。そして1999年に2ちゃんねるが開設されるんです。これがアイドルとの親和性が高かったんですよね。2ちゃんには多分にマイナスな要素もありますが、たとえば『ASAYAN』を観てメンバーの行間を読んでドラマを創作したり、ロッキンオン的なライブ評を書いたり、自分の意見や情報をオタクの間で共有するようになったんです。あとライブでファン有志がサイリウムを配って一斉に振るとか、同じコールをするなどのオタク文化も、ネットを通じて爆発的に広がったと思うんですよね。その延長線上でオフ会をやったり、クラブイベントを行ったり、運営と関わり合いのない場所でオタクがカルチャーを作っていくようになった。モーニング娘。が変えたのはアイドルのデザインだけではなく、応援するファンの形も多様化させたんですよね。



▽おのだ・まもる
1974年生まれ。出版社勤務を経て、フリーの編集者・ライターに。アイドル文化に造詣が深く、取材経験も豊富。いまだに『3rd -LOVEパラダイス-』を聴き続ける生粋のモーヲタ。
CREDIT

取材・文/猪口貴裕


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