──2010年は「TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)」がスタートした年でもあり、ももクロも参加しました。
嶺脇 個人的にTIFではさくら学院との出会いもありましたね。1回目のTIFは品川ステラボールで開催でしたけど、緩い雰囲気で楽しかったんですよ。あとこの年で印象的なのは8月30日・31日に東京・渋谷C.C.Lemonホール(現渋谷公会堂)で開催された「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」です。
──ももクロ、SKE48、スマイレージ(現アンジュルム)、bump.yの4組が出たアイドルフェスですね。
嶺脇 そのときの目的はSKE48だったんです。当時の雑誌『BUBKA』がやたらとSKE48を推していたので、どんなもんなんだろうと気になって(笑)。初日は、ももクロがトップバッターで、ガーッと盛り上げて、「ああ、ももクロらしいな」と。2番手のbump.yは周りに流されないというか、詩の朗読をしたり他のグループとは違うスタンスで出てきて雰囲気を一変させたんです。3番手がSKE48で前評判通りのパフォーマンスを行い、最後に出てきたスマイレージがガチで他のグループと勝負してましたね(笑)。そのときに我が軍やっぱりすごいと思ったんですが、実は、その4カ月前、同じ場所でスマイレージの(福田)花音ちゃんがMCで“アイドル戦国時代”と言っていたのを聞いたんです。ハロー!が戦国時代の先頭を取りに来るって、期待感が高まりましたよね(笑)。2010年はBiS結成の年でもあり、Negiccoが「エリア・アイドルNo.1決定戦『U.M.U AWARD 2010』〜全国アイドルお取り寄せ展〜」で優勝して初代チャンピオンになった年でもあります。あと僕にとって重要なのは、4年ぶりにモーニング娘。のオーディションが開催されたことです。このオーディションでアクターズスクール広島出身の鞘師里保ちゃんが加入したことで新しい風が吹き、今のハロー!に繋がる快進撃が始まるんです。
──なぜ一斉にアイドルグループが誕生したと思いますか?
嶺脇 何と言ってもAKB48の影響が大きかったと思います。あとPerfumeの成功で地方発でも何とかなるぞという機運が高まり、いろんなアイドルグループが誕生したのも大きかったのではないでしょうか。
──2011年になると、さらにアイドル戦国時代は加速していきます。
嶺脇 2011年のアイドル界でエポックだったのは、ぱすぽ☆がメジャーデビューシングル『少女飛行』で1位になったことです。楽曲の良さはもちろんですが、アイドルとファンが1つになることでトップを獲れることが可視化されたんですよね。チャートの上位になることで世間の注目を集められるというのが機能していたので、AKB48が握手会で有名になった手法を、地下やローカルのアイドルグループもやり始めて、その大きな成果がぱすぽ☆だったと。ただ、その後プロモーション計画をどう立てていくかを考えるのは大変だろうなとは思いました。
──いきなり首位だと、その後のストーリーも描きにくいですからね。
嶺脇 次の目標に向けて徐々に上がっていくのが物語としては面白いんですよね。