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UPDATE|2019/04/21

一番辛かった時期、道重さゆみを救ったあの名曲

アイドルは時代の鏡、その時代にもっとも愛されたものが頂点に立ち、頂点に立った者もまた、時代の大きなうねりに翻弄されながら物語を紡いでいく。結成から20年を超えたモーニング娘。の歴史を日本の歴史と重ね合わせながら振り返る。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。10回目は2006年のお話。



2006年、モーニング娘。に加入して4年目の道重さゆみは悩んでいた。一通りの仕事を覚え、新人という肩書を外し、初めての後輩もできた頃である。

「自分には目立つところが全然ない」(※1)

もともと道重は、国民的スターとなった初期モーニング娘。の輝きに強く惹かれてオーディションを受けた世代である。しかし普通の中学生だった道重を待ち受けていたのは、輝きの影に隠されていた猛練習と、それについていけずに悪目立ちしてしまう自分への嫌悪感だった。そして頭を悩ませた彼女はいつからか、無意識に自分の存在感を薄めることでモーニング娘。に馴染もうとするようになってしまう。そうして4年の月日が過ぎた頃、やっと我が身を振り返る余裕ができた彼女は、目立つ恥ずかしさと引き換える形で、いつの間にか自分が表現者としての「自信」を失ってしまったことを知ったのだ。

「悩みを抱えていたんですけど、当時はまだブログとかもやってなかったから、自分の思いを発信する場所も機会もなかった」(※1)

自分の秘めた思いを、誰かに知ってほしい。そう願いながら1人のアイドルがステージに立ち続けていた時期、ちょうど日本のインターネットでは国産SNS「mixi」の会員数が、ついに300万人に到達したことが判明する。2000年代に入りネットが急速に普及し、ユーザーの裾野も広がっていく中で、ネット上には顔も名前も分からぬ相手とのやりとりだけでなく、身近な知り合いとのコミュニケーションを楽しみたいという者たちも現れた。そんな需要に国内でもっとも早く応えたサービスの1つが、当時のmixiである。

中でもmixiを積極的に利用したのは、いわゆる若年層だった。2006年の公式発表では20~34歳のユーザーがmixi利用者の約8割を占めている。2006年当時に20~34歳だった者たち、つまり1972~1986年生まれの者たちは日本のデジタルネイティブ第一世代である。彼らの気軽なネット利用はまだ未開だったデジタルデータの世界を活性化させる重要な役割を果たしており、mixiも彼らの好奇心によってこそ発展し、後に流行語大賞にノミネートされるほど、新しい時代の娯楽として一躍脚光を浴びることとなった。

また当時の若年層はそのまま、「就職氷河期」の影響を強く受けている世代でもある。若さという大きな可能性を持ちながら努力だけではどうにもできない、そんな苦難の毎日を過ごしていた彼らにとって、インターネットはある意味安息の地にもなっていた。だからこそ彼らの自己発信は匿名ハンドルネームの掲示板文化だけにとどまらず、より個人の顔が見え、そして身近な形で感情や意思が書き残されていくSNS文化に枝葉を伸ばしていったのである。

そしてテレビや雑誌では見えない場所で起きていたこのうねりこそ、後に苦境のアイドルたちを支える、大きな力にもなっていく。

AUTHOR

乗田 綾子


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