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UPDATE|2019/04/28

SUPER☆GiRLS 25歳・異色の新人金澤有希「それでも私がアイドルを続ける理由」(前編)

SUPER☆GiRLS 金澤有希 撮影/河野陽太



──学校ではどんな生徒だったんですか? 芸能人に憧れるくらいだから、目立ちたがり屋?

金澤 いや、そんなことはないですね。かといって暗いというわけでもなく、外で男子と一緒に遊んでいる感じ。わりと周囲からはイジられる存在だったかもしれないな。まぁそれは今も変わらないか(笑)。

──さぞかしモテたんでしょうね。

金澤 それは全然なかったです! 男子と一緒になってドッチボールをやっているタイプだったので。可愛いキャラでもなければ、癒し系でもないですし。

──とはいえ、同級生の男の子に告白されたりは?

金澤 いや~、小学生の頃はさすがにないですよ。中学生になってからは……まぁ若干ありましたけど(照)。でも学校の子からしたら、当時の私ってとにかくひたすらアイドルを追いかけているイメージしかなかったと思います。お年玉が入ると、すぐに札幌に行くんですよ。札幌にはハロプロのお店があったから。そこでお金を全部使っていました(笑)。

──今はなきハロショ札幌店! 時代を感じさせますね(笑)。

金澤 家でも部屋中が辻ちゃんのポスターやうちわで埋め尽くされていて、友達が来るとア然としていましたから。

──当時の小学生女子にとって、ハロプロやミニモニ。は必須科目だったんですか?

金澤 もちろんそうなんですけど、私ほど熱を入れている子はさすがにいませんでした。だから周りも「あの子はアイドルになるつもりらしいよ」とか、すでにそういう認識なんですよ。誕生日プレゼントでも、辻ちゃんの消しゴムとかハロプロさん関連のものばかりもらっていましたし。

──そして最初のアイドルグループに加入したのが……。

金澤 小学校5年生のとき。父親と一緒に買い物していたら、街中で声をかけられました。タッチというグループだったんですけど。

──どんなグループだったんですか?

金澤 ローカルアイドルなんですけど、完全に地元密着型で、苫小牧に住んでいる人は全員が知っているような存在だったんです。でも、いざ活動を始めてみたら本当に大変で……。予想もしていないことばかりでした。ローカルアイドルだから、とにかくすべてを自分たちでやらなくちゃいけなくて。機材運びから始まって、会場のセッティングとかも全部。何より辛かったのが寒さです。北海道ですから、冬は氷点下15度ぐらいまで下がる気温の中、ミニスカート姿で会場の準備とかしているんです。

──まだ小5なのに! 『ハロモニ』で観た辻ちゃんとは雲泥の差(笑)。

金澤 ここは地獄みたいだなって思いました(笑)。そもそも北海道では、真冬だと人があまり外出しないんです。だから、お客さんも1人とか2人ということがザラにあって。子供ながらにすごく悩んだし、もがいていました。中学の3年間は、アイドル活動と並行して部活もやっていました。というのも、父から「スポーツ系の部活に絶対入ること」と言われていたんです。父は体育会系で人間関係が鍛えられるという考えを持っていたので。

AUTHOR

小野田 衛


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