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UPDATE|2019/04/28

SUPER☆GiRLS 25歳・異色の新人金澤有希「それでも私がアイドルを続ける理由」(前編)

SUPER☆GiRLS 金澤有希 撮影/河野陽太



──そしてAKB48の研究生になったのが高1のときですか。

金澤 苫小牧にある高校に入ってしばらくした頃、先輩が私たちのクラスを覗きにきたんです。なんでも「前田敦子に似ている子がいる」って話だったらしくて。その似ている子っていうのが、この私だったんです。だけど当時の私はAKB48の存在はもちろん知っていましたけど、まだメンバーの顔と名前がはっきりわかっていなくて……。

──大ブレイク前夜、『言い訳Maybe』とか『RIVER』の時期?

金澤 そうですね。ちょうどその前後くらいだったと思います。だから「前田敦子? 誰だろう?」って調べてみると、「うわっ、可愛い!」って思うようになり、それでAKB48が好きになっていきました。友達からは「AKB48のオーディション受けてみなよ」って言われることもあったど、「え~、いいよ」って返事していました。それが9期オーディションのときです。自分にはタッチがあったし、北海道から出ていく事もまだ怖い思いもありました。小学生の頃は「東京に出てアイドルになりたい!」と思っていたんですけど、高校にもなればだんだん現実も見えてくるから、それがどれだけ大変なことはわかるじゃないですか。苫小牧から札幌に出るのにもオタオタしているのに、1人で東京に出るなんてそんな……。このへんの感覚は、都会で育った方だとなかなかピンと来ないかもしれませんが。

──それなのに、どうして応募したんですか?

金澤 きっかけは妹です。家で2人で『週刊AKB』という番組を観ていたら、妹が唐突に「私、オーディション受ける」って言い出したんですよ。「お姉ちゃんも一緒に受けようよ」って。それを聞いて、私は鼻で笑いましたね。「いやいやいや。こんなド田舎で育った私たちが、ここまで大きなオーディションで何ができる? 大体、東京に出るってどういうことか本当にわかっているの?」って。でも逆に、あまりにも話が大きすぎるから「どうせ受かるわけないし、いいか!」って気軽に考え、軽い気持ちのまま、2人で応募したんです。

──金澤さんの半生記には、要所要所で妹さんが登場しますね。

金澤 妹の存在は、私にとって、ものすごく大きいです。妹がいなかったら、全然違う人生を歩んでいたかもしれません。その妹と私は、10期オーディションで2人とも最終審査まで残ったんです。いよいよ最後の合格発表で、全員が別室に集められたんです。番号が名前順に振られていて、妹と私は同じ苗字だから連番。妹の次の番号が私でした。そして若い番号から順に合格者の番号が呼ばれていくわけですけど……私の番号が呼ばれた瞬間、左隣に座っていた妹がボソッとつぶやいたんです。「あ、終わった」って。私、そのときの声が今でも忘れられなくて。

──妹さんは自分の番号を飛ばされて、自分が落ちたことに気づいたと。

金澤 そもそも「AKB48を受けたい」って言い出したのは妹なんです。それなのに私だけが受かっちゃって……。自分が合格してうれしいっていう感情は、とてもじゃないけど持てなかったです。本当に一生忘れないでしょうね、あの「あ、終わった」という声は。アイドルをやっていてどんなに辛いことがあっても、あの妹の声を思い出したら頑張ることができる。アイドルって誰でもなれるものではないですから。よりによって一番身近な存在が、そのことを私に教えてくれたというか……。こうやって話しているだけでも、泣きそうになります。

中編へ続く

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(※1)キッズのオーディション:2002年に開催されたハロー!プロジェクト・キッズ オーディションのこと。小学生限定で開催された。合格した15名は、のちにBerryz工房および℃-uteのメンバーとして活躍する。

(※2)エッグ:2004年からスタートしたハロプロの研修機関・ハロプロエッグのこと。現在はハロプロ研修生と改称されている。初期に在籍したメンバーは和田彩花をはじめとしたスマイレージ(現・アンジュルム)勢や真野恵里菜、アップアップガールズ(仮)など。
AUTHOR

小野田 衛


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