──AKB48時代の金澤さんは、正規メンバーでなく研究生とはいえ、かなりの人気者だったじゃないですか。推されメンと言っていいと思いますけど。
金澤 本当に恵まれていたと思います。でも、あの頃は目まぐるしく状況が変わっていくから、ついていくだけでも必死でしたね。だって、自分が想像していなかったことばかり起こるんですよ。新しい自分の衣装が次々と作られるし、会場入りした段階ですぐにリハーサルができるし。
──機材を運ばなくてもOKだったと(笑)。
金澤 初めて秋葉原のAKB48劇場に行ったときは、エレベーターを降りた瞬間、そこにそうそうたるメンバーがいらして。こっちからしたら、テレビの人たちじゃないですか。すごく感動しつつも、「なんなんだ、これは!?」って戸惑ったことを覚えています。
──先輩たちから刺激を受けることもありました?
金澤 改めて私が言うまでもないんですけど、高橋みなみさんはすごい方ですよ。本当にすごい。人間ではないんじゃないかと思うくらい、すごい人。誰よりも先に研究生の名前を覚えるし、自分から積極的に話しかけてくれて……。あの大人数の中で、それをやっているんですよ。常にみんなのことを見ていてくれているんです。
──高橋さんの背中を見ていたからこそ、のちにGEMで強烈なリーダーシップを発揮できたんですかね。
金澤 いや、とてもとても……。高橋みなみさんと比べるのは、おこがましいです。それと印象に残っているのは、AKB48の劇場公演にはアンダー制度というものがあって……。
──メンバーが病気とか仕事が忙しくて出演できない場合、代理の若手メンバーが出ることになりますよね。
金澤 それで私、前田さんのアンダーだったんです。前田さんはお忙しかったので、新曲の振り落としとかは私が代わりにやることになるんですね。
──前田敦子役だったんですか! では、奇しくも苫小牧の高校で先輩に言われた「前田敦子に似ている」という発言(※前編参照)が繋がるというか……。
金澤 運命を感じました(笑)。アンダーだからフォーメーションとかを前田さんに教えなくちゃいけないんですけど、自分の中でこれがすごく怖くて……。といっても、前田さんはすごく優しい方なんですよ。だけど偉大な大先輩だし、私は駆け出しのド新人じゃないですか。とにかく必死で振りを覚えて、ノートに細かくそれを書いて、「これです」って感じでドキドキしながら前田さんに渡すんです。いつも前田さんは「ありがとね」って優しく声をかけてくれました。ステージを降りたところでも、とても素敵な方なんですよ。