和田 ちなみにみうらさん、仏像を見るときはお寺派ですか? 美術館派ですか?
みうら それはもちろんお寺派ですよね。時の流れで仕方なく配置が変わっていたとしても、それが本来あるべき姿だと思いますから。
和田 美術館での展示は、出張みたいなものですしね。
みうら そうそう。だけど最近では美術館も照明とか見せ方に凝っているでしょう。そっちのよさもあるんだよね。
和田 そうなんですよ。近い距離でじっくり見る美術館の仏像もいいなって。私、最近はパワーうんぬんよりも仏像の構造的な部分が気になるんですね。美術史を本格的に学ぶと当然いろんな作品を見ることになるわけですけど、そうすると仏像に対しても1つの作品として対峙するように自然と変わってきたんです。「これはどういう作りになっているのかな?」とか、構造的な部分の方が気になっちゃって。
みうら それ、「これは寄木造だな」とか「やったー! 脱活乾漆像だ」とかでしょう(笑)。
和田 そうです、そうです! その角度で見ていくと、やっぱり私は運慶が一番ビシッと来るんですよ。
みうら 独創性に溢れていますもんね。運慶と快慶は教科書でも習うし、名前くらいはみんな知っているだろうけど、運慶が作ったものは、実は48体くらいしか見つかっていないでしょ?
和田 あぁ、そのことは私もずっと不思議に思っていたんですよ。
みうら 一番有名な東大寺南大門の仁王像だって、実際はプロデューサーだもんね。仏像の世界にプロデュースという概念を持ち込んだ革命児でもありますけどね。分業システムで仏像を作ったからこそ、短期で完成したわけでさ。それまでは1人の仏師が作るのがルールじゃないですか。で、ここからは僕の仮説なんだけど、なぜ運慶はこうまで作品が少ないのか? 思うに、運慶作品の中には、クライアントの意にそぐわなかったものもあったんじゃないのか? って。
和田 え~!? でも、そんなことが本当にありえるんですかね!?
みうら いやいや、あくまで仮説ですよ。快慶の場合は穏やかな仏像作りが得意だから、明らかにクライアントが満足しそうじゃないですか。だけど運慶は仏像に血管を浮かび上がらせたりして、より人間臭くするわけでしょ。それって“仏”の概念じゃないもの。
和田 分かります! 仏師というよりも芸術家ですよね、運慶は。個を前面に打ち出す作風というか。
みうら ですよね。仏像に作者名を入れるようになったのも運慶からだもんね。しかもデビュー作(奈良県・円成寺、大日如来坐像)から。それと運慶の場合、親父に対する意識も強かったんじゃないですかねえ……。
和田 父親って康慶ですよね。これまた有名な仏師ですけど。
みうら そう。親父も仏像界に新風を巻き起こした人ではあるけど、息子はさらにルネッサンスを狙っていたのでは? 完璧なアーティストですもんね。
和田 私が運慶に惹かれるのも、その作家性だと思うんです。自分で切り拓いている感じがすごいなって。