FOLLOW US

UPDATE|2019/07/14

高橋愛「やっぱり悔しかった」プラチナ期 真っ只中でモーニング娘。が考えていたこと

モーニング娘。年代記 第13回



つまり黄金期の影に翻弄された日々の末に、この時期のモーニング娘。がたどり着いていたその答えは、クオリティを追求していくことで成長を妨げず、メンバーにとって実りある活動を1日でも長くさせることだった。そしてその選択が決して間違っていなかったことは、後の歴史が証明する。

この2009年に発売されたアルバム『プラチナ9DISC』、そして直後に同アルバムを引っ提げて行われた春ツアー「プラチナ9DISCO」における過去最高のステージングは、後の再評価とともに「伝説のプラチナ期」という敬意溢れる名称で、彼女たちが日本のアイドル史へ刻まれたその由来にもなっているのだ。

ただ、なぜその称賛は、肝心の2009年のモーニング娘。たちに届くことがなかったのだろうか。

それは今振り返ると、AKB48のように分かりやすい変革を渇望していた2009年の「民意」にとって、難易度の高い繊細な楽曲をアイドルが歌いこなすというプラチナ期の切り口は、決定的にすれ違ってしまっていたという、悲運でしかなかった。

「仕方ないと思っていましたけど、やっぱり悔しかった」(高橋愛)(※2)

「自分達がやっていることに自信があったから、知ってもらえさえすれば絶対に好きになってもらえると確信していました。そんなことを考えながら精神的にボロボロになっても頑張っていたけど、成果が出せず悔しかった」(道重さゆみ)(※3)

そして2009年の終わり、止まっていたグループの時間の針は再び動き出す。7期メンバーの久住小春が卒業を決断し、プラチナ期のモーニング娘。は、ここでついに1人欠けてしまう事になったのだ。

「モーニング娘。に加入してからずっとこの9人のメンバーで、本当の家族のようだった」(リンリン)(※4)

苦楽を共にし、しかし気づけば、平均年齢19.8歳まで成長していたグループ。そして残るメンバーにも青春の岐路はもう間もなく、訪れようとしていた。



※2 朝日新聞デジタル「高橋愛(前編) 低迷期に選んだ“質の向上”という奇手」
※3 ワニブックス「モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック」
※4 モーニング娘。コンサートツアー2009 秋~ナインスマイル~ 2009.12.6 久住卒業公演より
AUTHOR

乗田 綾子


RECOMMENDED おすすめの記事