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UPDATE|2019/08/11

「モーニング娘。になれてよかった」プラチナ期に亀井絵里が選んだ“自分を大事にする生き方”

モーニング娘。年代記 第14回

アイドルは時代の鏡、その時代にもっとも愛されたものが頂点に立ち、頂点に立った者もまた、時代の大きなうねりに翻弄されながら物語を紡いでいく。結成から20年を超えたモーニング娘。の歴史を日本の歴史と重ね合わせながら振り返る。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。14回目は2010年のお話。


2010年。結果として大災害の前年という位置づけになったこの年を、あなたは今どんな風に記憶しているだろうか。

リーマン・ショックからは少し時が経ち、政権交代の熱狂も落ち着いた日々。市民生活では携帯電話に変わってスマートフォンが、そしてmixiに変わってTwitterが主役となりつつあったが、今、コミュニケーションの主流になりつつあるLINEはまだ存在すらしていなかった、そんな日々の記憶でもある。

一見それは大きな社会変動のない、穏やかな流れの中にあったようにも思える。しかし改めて振り返ってみるとこの2010年には、その後の社会の変化を先取るような歴史の芽が、すでにあちこちで顔を出し始めていた。私が思うその芽とは、2010年の宇多田ヒカルであり、そして、2010年のモーニング娘。亀井絵里の姿であった。

83年生まれの天才アーティストと88年生まれのモーニング娘。には、実は2つの共通点が存在している。1つはどちらも10代の早いうちからプロとして働き始めていたこと。そしてもう1つは2010年8月に、揃って芸能活動の無期限休止を選択していたということである。

まず先に活動休止を発表したのは6期メンバーの亀井絵里。2010年8月8日、恒例のハロー!プロジェクトコンサートに出演していた時のことだった。

「今年の秋ツアーの最終日をもって、モーニング娘。を卒業することを決めました」(亀井絵里)(※1)

亀井がこの時説明した理由は、「ちゃんと自分を大事にしたい」というものだった。自分を大事に、とは陰で長年苦しんでいたゆえの言葉である。後に本人が明かしたところによると、亀井は幼少期からずっとアトピー性皮膚炎を患っていたのだという。ただ子供時代のアトピー性皮膚炎は成長とともに良くなるケースも多いため、亀井も最初はどこか完治の期待を抱きながら、モーニング娘。として元気に活動していたのだろう。

しかし亀井の場合は年齢を重ねてもなお、肌状態が良くなる気配はなかったという。それどころかアイドル活動につきものの汗や精神的プレッシャーも影響し、ファンの知らないところで亀井の病は年々悪化の一途を辿ってしまっていた。
CREDIT

乗田 綾子


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