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UPDATE|2019/10/12

オーディション時に秋元康が見抜いた“SKE人間” 高柳明音の可能性[10年半の軌跡を振り返る]

卒業を発表する高柳明音(中央) (C)2019 Zest,Inc.

今月4日、SKE48の高柳明音がグループからの卒業を発表した。2009年に二期生として加入し、長らく第一線で活躍してきた高柳。常にSKE48のことを第一に考えてきた彼女の10年半の歩みを、オーディション時から追い続けてきたライターの犬飼華氏が振り返る。


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 10月4日の深夜2時頃、SKE48の高柳明音が卒業を発表した。それは、同グループの「帰ってきたミッドナイト公演」のラストでのことだった。

 10年以上もグループに多大な貢献をしてきた偉人の歩みを振り返ることで、高柳明音という人間の魅力を改めてクローズアップしたい。

 2009年3月29日、SKE48は二期生オーディションを開催した。筆者はこの様子を密着する機会に恵まれた。会場は名古屋駅から近い、古びたビルにあるダンススタジオだった。ここに約70人の最終候補者が集結。その中の一人が高柳だった。

 最終審査は、まずダンス審査が行われ、それに通過すると歌唱審査に進めるという流れ。10年半前の取材ノートを引っ張り出してみると、高柳の番号は38番。ダンス審査を通った彼女は歌唱審査に進み、秋元康総合プロデューサーら審査員が見守る中、『ハナミズキ』を歌った。私が彼女を初めて認識したのは、この瞬間のこと。まだ17歳だった。

 審査は合議制で行われ、審査員のうち誰か一人でも挙手すれば合格というシステムで最終合格者が決まった。高柳に関していえば、明音という名前が妙に印象に残ったが、正直なところ、強烈なインパクトを残したわけではなかった。しかし、これまで芸能界に憧れる少女たちを星の数ほど見てきた秋元氏は、高柳が持つ可能性を見抜いた。しかも、歌唱審査のたった1分で。候補者への合格発表が終わり、テレビカメラもいなくなり、スタッフしかいなくなったスタジオで、「僕のセンター候補、38番」と言い残して、秋元氏は会場を後にした。その表情には、「見つけた」と書いてあった。

 その約1か月後にお披露目されると、高柳は二期生を中心に結成されたチームKIIの柱になったのだが、2011年6月、高柳は“大事件”を起こす。「第2回AKB48選抜総選挙」において、秋元氏に対してステージ上から“懇願”を行なったのだ。
AUTHOR

犬飼 華


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