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UPDATE|2019/12/28

吉本坂46・榊原徹士が語るどん底時代「お金以上にきつかったのは“自分には何もない”という感覚」

撮影/西邑泰和


新選組リアンのデビューが2009年だったんですけど、あのときはわかりやすいくらい自分も天狗になっていました。だけど2011年に島田紳助さんが芸能界を引退されたことで、一気に風向きが変わったんですよね。

そこからは自分たちで楽曲を作ったりもしたけど、はっきり言って鳴かず飛ばず。過去の栄光にすがっているような状態でした。所属していた事務所からも契約更新できないって言われましたし。

それまでは周りの大人たちに言われたことをこなしていただけだったのに、急にセルフプロデュースでやろうとしても、今度はメンバー間でやりたい方向性がズレるという問題が出てくるんですよ。このズレっていうのは、お客さんも敏感に感じ取りますからね。だから正直言って、グループとしてはあまり上手く機能していなかったんです。そんなことは僕たち自身が一番よくわかっていた。

じゃあ、なぜそれでも新選組リアンを続けたか? ひとつは意地ですよね。「ここで負けてたまるか」という根性。もうひとつは……紳助さんがまた芸能界に戻ってくるんじゃないかという淡い期待があったんです。これは本当にミリ単位の希望ですよ。だけど、それを捨てることはできなかった。だって僕らは紳助さんによって作られたグループ。誰がなんと言おうとも、紳助さんが親なんです。

それでも結局、新選組リアンはこのままじゃどうにもならないという話になり、解散することになりました。解散ライブも想像以上に客席は閑散としていましたね。最近、新選組リアンは一夜限りの復活ライブをやったんです。このときは一夜限定ということもあって、お客さんも来てくださいましたが。
AUTHOR

小野田 衛

CREDIT

撮影/西邑泰和


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