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UPDATE|2020/01/11

モーニング娘。の旅立ち…つんく♂プロデューサーが贈った最後の賛辞

モーニング娘。年代記 第19回



彼が文字通り命をかけて臨んでいたモーニング娘。のニューヨーク公演は、横浜アリーナや日本武道館など、グループが今までに立ってきたステージと比べると規模こそ小さく、派手な演出もできない制約があった。

しかしいざライブが始まると、8割が現地アメリカのファンで占められていたという異国の客席から、割れんばかりの大歓声が巻き起こっていく。

ハロー!プロジェクトの総合プロデューサー・つんく♂にとって、このニューヨーク公演の熱狂は、長年に渡り注いできた音楽への情熱や愛情がまさに「越えるべき山を越えた」、そんな瞬間でもあった。そして同時に、彼は自身の愛する家族とも、その記憶を分かち合う。

つんく♂の妻は自然と流れ出す涙を何度も拭いながら、また子供たちはとても楽しそうに、同じ客席からステージを観てくれていたのだという。

「振り返れば、2014年10月5日、ニューヨークで、僕の音楽人生の半分以上を掛けてきた、ひとつの大きな『仕事』が終わった」(つんく♂)(※1)

終演後、つんく♂はもう一度メンバーたちの元へ向かっている。しかしこの日だけは、ダメ出しではなく、心からのねぎらいの言葉を自然とかけていた。

「よくやった。よう頑張った。かっこよかったよ」(つんく♂)(※1)

つんく♂が再び見つかったがんを取り除くために声帯を摘出し、そしてモーニング娘。を始めとするハロプロの新規作品から「produced by つんく♂」が一斉に消えたのは、それからまもなくのことである。

物事の分かれ道というのは、いつも後から見えてくる。そこに正解・不正解を当てはめるのも、時間は巻き戻せないからこそ、結局は何の意味も成さないのだ。

たとえどの道を選ぼうと、遠く離れた今日に残るのは、何気なく過ぎた時代の1つひとつが折り重なってできた、思い出の晴れやかさである。

そして旅立ちの別れによく似た、ただひとさじの、喪失感である。



※1 新潮社『だから、生きる。』(つんく♂著)
AUTHOR

乗田 綾子


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