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UPDATE|2020/04/10

ハロプロ黄金期を支えた男たちの、あの頃。「モー娘。で仕事を失うことも」劔樹人&吉田豪

左から吉田豪、劔樹人 撮影/荻原大志

2000年代初頭。誰もがハロー!プロジェクトの曲を知っていた、あの頃。中でも、ハロプロ──モーニング娘。を愛してやまないディープな“モーヲタ”が放っていた熱量はある種異様だった。当時のファンのリアルを知る吉田豪と、それを自伝的漫画『あの頃。男子かしまし物語』に落とし込んだ劔樹人(つるぎ・みきと)に、改めて“あの頃”の異様さを語ってもらった。(前後編の前編)


──劔さんと吉田さんは以前から面識があるようですが、『あの頃。』に描かれている2000年代前半、当時はどんな関係だったんですか?

吉田 ボクが大阪でイベントをやるとき、「恋愛研究会。」(※1)の人たちが手伝ってくれていたんですよ。呼ぶのも「恋愛研究会。」だし、PAとかを担当してくれたのも「恋愛研究会。」。それで打ち上げに行くと、いつもその場にいたのが劔くんでした。

劔 そうですね。だから豪さんは本に出てくる登場人物も全員知っているはずです。

吉田 あの時代のことが漫画になった時点でどうかしていると思ったけど、映画化とはね……。しかも劒くん役が松坂桃李さんという(笑)。

──劒さんが恋愛研究会。とつるむようになったのはどんな経緯で?

劔 僕がハロプロにハマったのは松浦亜弥さんがきっかけですが、少し遅めで2003年に入ってからなんですよ。その前も『ASAYAN』(※2)は観ていたから、もちろんモーニング娘。の存在は知っていましたけどね。好きになってからもしばらくは1人でヲタクをやっていたんですけど、会場かどこかで配られたフライヤーをきっかけに、のちに「恋愛研究会。」になる、「ハロプロあべの支部」という関西のモーヲタ(モーニング娘。ファン)組織と出会うんです。

吉田 当時の状況を整理すると、まず『BUBKA』が主導してモーヲタのシーンを作ろうとしていた。その中で、ビバ彦さんという人が「爆音娘。」というDJイベントを主催するようになった。これがかなり大規模なイベントに成長し、とんでもないレベルで集客できるようになったんです。もはや事務所無許可のイベントとは呼べないレベルでしたね。やがて爆音娘。は地方にも進出するようになり、おそらくその流れと連動するようにして、全国各地でモーヲタが組織化されていったんじゃないかと。

劔 そうですね。大阪でやった爆音娘。を取りまとめていたのが、『あの頃。』にも登場する友人(※3)でした。

吉田 当時、東京のモーヲタ論壇は「ビバ彦派」と「杉作J太郎(※4)派」の2つに大きく分かれていたんです。ざっくり言うと、ビバ彦さんの方が「過激派」、杉作さんの方が「穏健派」という感じ。

劔 それは本当にそう! もう思想が根本から違っていた(笑)。

吉田 ビバ彦さんというのは、プロレスでいうところの村松友視(※5)になりたかった人なんですよ。つまりプロレスというジャンルを踏み台にして有名になった村松さんのように、モーニング娘。を利用したかったわけですね。爆音娘。周辺が親ビバ彦派の筆頭になります。

CREDIT

取材・文/小野田衛 撮影/荻原大志


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