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UPDATE|2020/04/22

「ありのままの私で」HKT48 新センター・運上弘菜の“愛される条件”

HKT48の13thシングル『3-2』MVのワンシーン


高校に入学した運上は、すっかり夢を忘れかけていた。アイドルのことはまだ好きだった。その頃、憧れていたのは指原莉乃。その指原がいるHKT48が4期生オーディションを開催すると知った。まだ将来の道を決めかねていた運上は一念発起。人生を変えようと試みた。兄の反対を押し切って受けたオーディションの結果は吉と出た。高校3年生の2月、ようやく進路が決まった。

合格して福岡にすぐ移住したわけではなく、しばらくは通いだった。福岡在住の同期に水をあけられていると焦っていた。なぜなら、飛行機移動が多いため、ダンスレッスンに割く時間が少なくなってしまうからだ。ただでさえ振り覚えもよくないのに、このままだとヤバい。焦りは募るばかりだった。入ってしばらくすると、同期が選抜メンバーに大抜擢された。その頃には福岡に移住している。すべてをかなぐり捨ててやって来た福岡の地で、自分は何の結果も残せていない。しかも、同期の中では年長者。若いメンバーの売り出しが優先されているように感じて、余計に焦っていた。

同期が選抜入りした直後、運上は荒巻美咲とのコンビ「fairy w!ink」で「AKB48グループユニットじゃんけん大会」で優勝を遂げた。彼女の名前が広く知れ渡り、先を走る同期に少し近づけた気がした。北海道の田舎町にもその吉報は届いていた。地元では翌日のスポーツ新聞を持ち寄って、井戸端会議に花を咲かせ、両親も声をかけられることが増えたそうだ。

じゃんけん大会直後、メディアに取り上げられる機会も珍しくなくなった。私もじゃんけん大会直後に取材をしているが、自信なさげに話すのが印象的だった。取り上げられる自分にまだ戸惑っているようだった。

彼女はまだ悩んでいた。持ち前のかわいさと透明感を褒めてもらえることはあったが、明るく楽しい雰囲気に満ちているHKT48に自分がフィットしていないのではないか、という悩みが消えないままでいた。HKT48を体現していたのはバラエティの王者・指原であり、松岡はなであり、なこみく(矢吹奈子&田中美久)だった。グループの雰囲気に合わせようとしたこともあった。無理に自分を繕っていたのだ。そうしないと選抜に入れないと考えていた。

しかし、その迷いをスパッと断ち切った。繕っていても自分を追い込むだけだったからだ。グループカラーにフィットしなくても、ありのままの私で勝負しよう。そう誓うと、自然と握手会にファンが増えてきた。他のメンバーは、「なっぴ(運上の愛称)は結果を出している」と認識するようになった。明るいグループの中にあって、おとなしい美少女でいることが個性として際立つようになったのだ。

じゃんけん大会で優勝した翌年(2018年)、シングル『早送りカレンダー』で初選抜入りすると、ますます握手会人気は上昇。こうしてファンに見つかった。その結果、センターの椅子に座ることになった。
AUTHOR

犬飼 華


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