『月刊エンタメ』に連載中の「井上咲楽の政治家対談」、今回は2020年東京オリンピック・パラリンピック大臣などを歴任した遠藤利明議員が登場。約1年延期となったオリンピック、開催がもたらすレガシーとは。(5回連載の1回目)
【写真】遠藤議員のキャッチフレーズ入り“当せんべい”井上 遠藤さんは1964年、前回の東京オリンピックのとき、聖火リレーのランナーだったと聞きました。
遠藤 正確には、当時15歳だった私は、聖火ランナーではなくて伴走者に選ばれていたんですよ。
井上 伴走者と聖火ランナーは違うんですか?
遠藤 前回の東京オリンピックでは、各地区で聖火ランナー1人と20人ほどの伴走者が一緒に走り、聖火を全国でリレーしていったんですよ。私は故郷の山形県を走る伴走者の1人で、ちゃんと制服とズックをもらって本番を心待ちにしていました。
井上 ズック?
遠藤 あ、ズックって上履きのような運動靴のことね(笑)。あの頃は、シューズなんて言わなかったから。だけど、聖火リレー本番の3日前だったかな、盲腸炎にかかってしまったんですよ。すぐに緊急手術を受け、聖火リレーが山形県を通過していくのを、病院のベッドで悔し涙を流しながらテレビで観ました。残念だったなあ……。
井上 やっぱりオリンピックの記憶は強く残っていますか?
遠藤 そうですね。特に覚えているのは、ブルーインパルスが真っ青の空に五輪のマークを描いたところと、開会式の入場行進で赤いブレザーと白いズボンを着た日本選手団が国立競技場に入っていたときの雰囲気。あとやっぱり、女子バレーボールの“東洋の魔女”の印象が強いですね。他には聖火ランナーの最終走者だった坂井義則さん。彼が聖火台に上っていくシーンも印象的でしたね。
井上 テレビを観ながら応援していたんですか?
遠藤 オリンピック開催前、山形県ではまだそれほどテレビが普及していなかったんですよ。でも、オリンピックが開かれるとなって、みんな大騒ぎしながらテレビを購入して。新幹線もでき、高速道路網ができ、私たちの暮らしも大きく変わっていく節目となった大会でしたね。