“女子プロレスのアイコン”の異名を持つ、女子プロレス団体スターダムの岩谷麻優。実は元引きこもりのポンコツレスラーという過去を持つ、“遅咲き”のレスラーだ。そんな彼女が王者になるまでの道筋とは…。また、コロナ禍においてのプロレスについて話を聞いた。
【写真】女子プロを知らない人にこそ見てほしい、岩谷麻優の華麗なムーンサルトプレス本当だったら、いまごろ「令和初」となる女子プロレスブームが到来しているはずだった。
これは願望でも、なんでもない。
昨年、女子プロレス団体『スターダム』がブシロードの傘下に入ったことで流れは大きく変わった。あらゆるメディアへの露出が激増し、TOKYO MX TVにおいて女子プロレスとしては久々となる地上波での中継番組がスタート。さらに同じくブシロードグループである新日本プロレスの1・4東京ドーム大会にてスターダム提供試合を敢行するなど、メジャー化を見据えての施策が続々と打たれた。
結果、毎月開催されている後楽園ホール大会は満員が続き、4月には大田区総合体育館でのビッグマッチも決まっていたのだが……そういったいい流れはすべてコロナショックに飲みこまれてしまった。
「やり場のない思い、でしたね。大田区の開催に向けて、スターダムの看板がいろんな駅に掲示されたりすることも決まっていたので、もっともっと私たちのことを多くの人たちに知ってもらえるチャンスだったのに……スターダムって、これまでもいろいろあったから、なにがあってもなんとかなるっていう耐性がついていたつもりだったけど、コロナばかりはなんともならなかったです」
そう語るのは、現在、ワールド・オブ・スターダムのベルトを巻いている『女子プロレスのアイコン』こと岩谷麻優だ。