FOLLOW US

UPDATE|2020/10/03

“先駆者”HKT48田島芽瑠、SNSを駆使してソロ仕事を展開「チャンスは自分で掴むしかない」

田島芽瑠



昔からそこにあった実家がリフォームされたような感覚。きっと、これは過去の劇場を知っているファンも、足を運んだら同じような気持ちになるのかもしれない。だが、あのときと比べると先輩や同期の数は減ってしまった。その代わり「妹」たちがものすごく増えた。その中には専用劇場を知らない世代も相当数、いる。そういうメンバーたちに「専用劇場とは?」「劇場公演とは?」といったことを伝えていくことも2期生にとって大きな役割になってくる。かつて1期生から教えてもらったように。

「そこはもう自分の道をしっかり歩みつつ、後輩たちを支えていきたいですね。2期生もいつのまにかHKT48には6人だけになっちゃいましたけど、ここまで残ってきているだけあって、本当に個々がしっかりしているんですよね。

この状況とか関係なく、以前から『これからHKT48はどうなっていくんだろうね?』って日々、グループLINEとかで話してはきましたけど、ふと『いつかは1期生も2期生もみんないなくなるんだよなぁ〜』って考えたときに、そうなったら誰がまとめ役になるんだろう? みたいなことが頭に浮かんできて……あぁ、さしこちゃん(指原莉乃)がなかなか卒業を決断できなかったのも、こういう感覚だったのかなって、少しだけわかったような気がします」

指原莉乃は昨年4月(つまり平成のラスト)に卒業した。

もし、その決断が1年遅れていたら、コロナ禍で卒業コンサートもできなかっただろうし、HKT48も非常に不安定なままでの活動を余儀なくされていたはずだ。この1年間で運上弘菜という新しいセンターも誕生し、新しい時代に向けての体制が整ってきた。だからこそコロナショックでも踏ん張れた、という側面は間違いなくある。すべては偶然なのかもしれないが、結果として平成のうちに指原莉乃がHKT48を離れたことがグループにとって大きなプラスとなっているのだ。

いきなりセンターとしてデビューした田島芽瑠は、その後、屈辱の選抜落ちまで味わっている。こんな激動の経験をしているメンバーは姉妹グループを見渡しても、まずいないし本人も「私のアイドル人生、ジェットコースターですよ」と笑う。

ただ、普通の感覚だったら、とっくにジェットコースターから降りてしまっているはずなのに、田島芽瑠はそのまま乗り続け、選抜復帰を経て、独自のポジションを築き上げることに成功した。

「自分のことを信じ続けてよかったなと思うし、そういう経験をしていく中で『どんな時間でも無駄にしなくない』って精神が生まれたので、それが今、役立っているのかもしれないですね。さっき、後輩メンバーの話をしましたけど、きっと30歳になっても、40歳になっても、私、ずっと頑張っているんじゃないかなって自分でも思います。

たくさんの方から『今、仕事ができなくなってしまって投げやりになっていましたけど、芽瑠ちゃんの頑張りを見て、自分でできることを見つけて頑張ろうと思いました』っていうコメントをいただいたんですね。自分が頑張ることで、いろいろな人たちにエールが贈れるような存在になれたらいいなって」 

コロナ禍で得た「気づき」。

田島芽瑠のジェットコースターのようなアイドル人生は、たくさんの人たちの想いを乗せて、まだまだ続く。

【あわせて読む】田島芽瑠、15歳の時の写真を公開するも、20歳の今と変わらなさすぎて話題に
AUTHOR

小島 和宏


RECOMMENDED おすすめの記事