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UPDATE|2020/10/17

野田聖子議員に聞く、安倍元総理の素顔と辞任の裏側「持病を抱えながらもリーダーを続けて欲しかった」

左から井上咲楽、野田聖子 撮影/松山勇樹



井上 ちなみに7月に会ったとき、辞任の気配は感じましたか?

野田 確かに元気がないなとは思った。ただ、状況的に頑張っても頑張っても報われないところがあったから、そこまで深く受け止めなかった。

井上 というと?

野田 印象に残っているのは、コロナ対策の話。日本の対策は客観的に見ればうまくいっていて、重症化した人も、亡くなった人も他の国に比べたらダントツに少ない。でも、それはニュースのトップにはならない。

井上 それよりも、新規の感染者数が毎日大きく扱われていましたね。

野田 そう。まるで何も改善されてないような刷り込みが続けられ、対策への客観的な評価がきちんとされていないことを安倍さんは非常に寂しく思っていました。また、何かと言えば、布マスクと犬を抱いた動画のことで批判される、と。でも、最後は笑顔を見せていたし、世間が言うほどへこたれていないとも感じたんです。だから任期いっぱいまで頑張るだろうし、私も「これからだ!」と準備をしていたら、突然の辞任表明。私と会ったあとの約ひと月の間に、誰かが、何かが安倍さんの心を折っちゃったんだな、と。

井上 それは世間ですか? 党内の誰かですか?

野田 そこは分からない。でも、私としては持病を抱えながらも、リーダーをやっていって欲しかった。

井上 どうしてですか?

野田 病気が再発したことはもちろんつらいけど、強くない人でも国民のために総理の仕事ができるところを見たかった。閣議も週1回でいいじゃない。本会議に出られないことがあっても、副総理がいるわけだし。難病や障害を持っていてもオーバーワークにならず、いい仕事ができる。そういうリーダー像を見せてくれたらよかったのにな、と。そうしたら社会も変わるし、もっと労り合える優しい国になっていくと思うから。病気を告白されたからこそ、頑張ってほしかった気持ちがあります。

井上 確かに励まされる人もたくさんいると思います。

野田 総理は私たちの究極のアイコンだからね。アイコンが常に強くて元気だったら、そうじゃない人は排除されてしまう。弱さのある人、それを認められる人がトップにいてくれたら、もっと多様性のある社会になっていくと思う。

>>「井上咲楽が自民党幹事長代行・野田聖子議員に聞く『将来総理大臣になったら、何がしたいですか?』」に続く

(取材・文/佐口賢作)

▽井上咲楽(いのうえ・さくら)
1999年10月2日生まれ、栃木県出身。A型。『アッコにおまかせ!』(TBS)、『おはスタ』(テレビ東京)、『サイエンスZERO』(NHK Eテレ)などに出演中。Twitter:@bling2sakura

▽野田聖子(のだ・せいこ)
1960年9月3日生まれ、福岡県出身。自由民主党幹事長代行。衆議院議員。上智大学卒業後、26歳で岐阜県議会議員に。93年、衆議院初当選。以後、当選9回。総務大臣、衆院予算委員長などを歴任。
CREDIT

取材・文/佐口賢作 撮影/松山勇樹


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