『月刊エンタメ』に連載中の「井上咲楽の政治家対談」、今回は自由民主党幹事長代行を務め、郵政大臣や総務大臣などを歴任してきた野田聖子議員が登場。議員生活27年のベテラン議員の野田さんが、ここまで続けてこられた原動力とは。
※取材は9月8日に行いました
【写真】野田聖子議員の事務所に飾られた自画像井上 野田さんが岐阜県議会議員になった26歳って、仕事も楽しくなってきて、プライベートも充実してきて、遊びの幅も広がって……という年齢なのかな? と想像しているんですけど、そこで政治の世界に入るのは、しんどくはなかったんですか?
野田 咲楽ちゃんが言う通りで、みんなが自由を楽しんでいる26歳で議員になったから、お利口に真面目にしていなくちゃいけないところはあったね。高校時代に開けたピアスの穴も閉じたり。でも選挙では目立つきちんとした格好をしなきゃいけないって言われて、真っ赤なスーツを来てキャンペーンをしたの。それ以来、原色恐怖症になっちゃって、着る服は紺や黒やグレーばっかりになっちゃった。
井上 国会を見ていても、華やかな色の服を着た女性議員の方、多いですよね。あれは目立つ色を着ないと……みたいな考えからでもあるんですね。
野田 私は目立つ熱帯魚になるより、藻でいいの、藻。そういう意味でも永田町の流儀に入り込めないまま、27年です。
井上 27年……。
野田 仕事と割り切っているから続いてきた。目立とうとか、自分の夢を叶えようとか、そういう考えはないから。
井上 野田さんは何を原動力に頑張ってきたんですか?
野田 最大の仕事は、法律を作ること。議員である以上、何を言われても法律を1個で多く作りたいと思ってやってきました。
井上 議員立法。
野田 これまで議員立法に取り組んで、いろんな法律を生み、それに関わる人たちがうれしかった、助かったと言って喜ぶ顔を見ることは私の原動力かな。でも、1つの法律を作るのは本当に大変疲れちゃうけど。
井上 疲れちゃいますか(笑)。