『月刊エンタメ』に連載中の「井上咲楽の政治家対談」、今回は立憲民主党幹事長を務め、外務副大臣や内閣官房副長官などを歴任してきた福山哲郎議員が登場。苦学生時代を超えて議員に当選してから、25年かけて取り組み続けていることとは。
※取材は10月12日に行いました
【写真】福山議員が取材後にプレゼントしてくれた自身のキャラクター「テツロー」をあしらったグッズ井上 福山さんは学生時代にバイトをたくさんしていたと聞きました。
福山 新聞配達、家庭教師、ゴルフ場のキャディ、イベント会場の設営、それから塾の先生、郵便局の年賀状の仕分け、あとは何をやったかな……。うちは貧乏だったから、いろんなアルバイトをしましたよ。
井上 一番印象に残っているバイトは何ですか?
福山 面白かったというか、今も役立つ経験になっているのはゴルフ場のキャディですね。
井上 キャディってお客さんのゴルフバッグを運んだり、プレー中にコースについて質問されたらアドバイスしたりする係ですよね?
福山 そう。一緒にゴルフコースを回るから、お客さんとの距離が近いんですよね。すると、紳士的に温かく接してくれる人もいれば、上から目線でぞんざいに「キャディだろ?」という態度でくる人も、プレーに失敗すると八つ当たりする人もいて。人柄はそれぞれで、世の中にはいろんな人がいるんだなと勉強になりました。また、自分が大人になったとき、人に偉そうな態度は取りたくないなとも思いましたね。あと、そうだ、パック詰めの寿司を作るバイトもよくやっていたなぁ……。
井上 私も回転寿司屋さんでバイトしていたことがあります!
福山 シャリを板の上に敷いて、型でぐっと押して一気に形を付けていく作業あったでしょう? 意外とあれが好きで。
井上 型ですか? 私のときは機械からシャリが出てきて、そこにネタを乗せる仕組みでした。
福山 そっか。時代が違う(笑)。僕のときはプラスチックのケースにシャリを入れて、蓋をして……って細かい話はいいよね。僕がパック寿司を作るバイトをしていた時期は決まって年末年始。当時、お正月は飲食店がお休みだから、パック寿司がよく売れたんですよ。でも、働き手は少ないので時給が倍になるんです。大学に行く学費を貯めるためにも、その時期を狙って働いていた。だから、バイトをしていた高校時代は紅白歌合戦を見たことないんです。