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UPDATE|2021/02/21

タブレット純がムードコーラスに魅せられた人生を語る「幼少期から変わり者だという自覚はあった」

タブレット純 撮影/山上徳幸



「いじめ……というほど深刻じゃないかもだけど、周囲からは激しくイジられていました。その攻撃から身を守るためには、笑いに変えていくしかない。そこで今の仕事に繋がるような笑いの感覚を身につけていったんだと思います。これは松村邦洋さんも同じことを言っていましたけどね。

その頃の最大の楽しみといったら、グループサウンズ(GS)研究家の黒澤進さんと文通すること。とはいえ中学生なのにGS好きなんて変だと自分でもわかっていたから、年齢は65歳だと偽っていました。なぜか偽名も使っていましたね。“土橋渡”という名前で、名字はのちにヤクルトの監督になった土橋正幸さんから、下の名前はロッテの監督の方から取りました(笑)」

高校卒業後、知人の紹介によって古本屋で働き始めるようになる。時給はわずか630円。お金が底をつきると、土日はテレクラのティッシュ配りもした。そんな息子の生活を心配する両親には、「大丈夫。大学にも行くつもりはあるから」とその場限りの口から出まかせでやり過ごした。

「一応、専門学校に通った時期もあるんです。だけど好きな男の子に告白したら玉砕しちゃって……その日から、一切、学校には足を運ばなくなりました。結局、半年くらいで退学したのかな。そこからは酒浸りの日々で、重度のアル中みたいな生活を送っていて。もう本当に廃人寸前。よくあそこで死ななかったなと今でも思います」

AUTHOR

小野田 衛


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