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UPDATE|2021/02/05

日本で最も恐れられる雑誌・『週刊文春』を作った2人の天才

スクープの裏側を追ったノンフィクション『2016年の週刊文春』(光文社)

“文春砲”と呼ばれる衝撃的スクープを連発することで、政界、財界、芸能界から恐れられる『週刊文春』。もはや向かうところ敵なしとなった週刊誌のトップランナーは、どのようにして現在のポジションを築いたのか?

自身も文藝春秋の社員として『週刊文春』に携わり、昨年末に『2016年の週刊文春』(光文社)を上梓したノンフィクションライター・柳澤健氏に、文春イズムとは何かと、『週刊文春』をトップ雑誌にした2人の天才編集者について聞いた。(前後編の後編)

※前編<『週刊文春』はいかにして週刊誌のトップランナーになったのか>はこちらから。

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──『2016年の週刊文春』は、『週刊文春』でスクープを追う男たちの群像劇です。ただ、中でも花田紀凱編集長(1988~1994年、現『月刊Hanada』編集長)と、“文春砲”の生みの親である新谷学編集長(2012~2018年、現週刊文春編集局局長)が大きな存在として描かれます。柳澤さんから見て2人のすごさはどこにあるのでしょう?

花田 花田さんは雑誌作りの天才なんですよ。タイトルのセンスを含めて。ただ、『週刊文春』に革命を起こした編集長は田中健五さん(1977~1978年)でしょうね。『週刊新潮』のモノマネ雑誌に過ぎなかった『週刊文春』を「『タイム』や『ニューズウィーク』のようなクレディビリティ(信頼性)のある週刊誌に変える、と宣言したわけですから。和田誠さんの表紙にしたのも、目次や本文のデザインも田中さんが一新した。でも、もともとが月刊『文藝春秋』出身なので、企画内容が重すぎて、スピード感に欠けるきらいがあった。週刊誌は、もっと下世話な要素が必要なんです。その点、花田さんという人は文春では異色の存在。映画も演劇も写真も何でも大好きっていう人は文春にはなかなかいないんです。思想性はなく、ある意味で節操がなくて、「面白ければなんでもOK」というスタンスなので。

一方の新谷くんは『文春』史上最強の取材者ですね。新谷くんほど広く深い人脈を築き上げた人はほかにはひとりもいないでしょう。熱量が異常なんです。会えばすぐにわかりますよ。花田さんの時代に比べれば、新谷くんの時代の方が部数は少ないですよ。でも、同列で語るのはフェアじゃない。紙の雑誌全体の凋落が著しいからです。さらに昔は取材費をふんだんに使えたけど、今は広告も激減しているし、そこまでの予算はない。以前のようにカネが使えない厳しい状況の中で、甘利(明経済再生相)の金銭受領やベッキーの不倫略奪といったスクープを次々とモノにしているのがすごい。もっとも花田さんは「俺が作れば『週刊文春』はもっと売れる」といまだに豪語してますけどね。78歳なのに(笑)。
AUTHOR

小野田 衛


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