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UPDATE|2021/12/30

“コロナの女王”岡田晴恵が語る感染症専門家になった理由「非常にミステリアスな学問」

岡田晴恵 撮影/松山勇樹



岡田 病気が流行ると、それがめぐって世の中の貧困につながる、戦争では戦地でも感染症が流行って、それで亡くなる人も多い。戦争に負けるとまた貧困が襲ってくる。そして、治安も悪くなる、など病気の流行って社会に大きな影響を与えて、それらが巡っている。突き詰めていけば密接に結びついて連動していたりします。直接、感染症がテーマになるような小説もあります。

堀辰雄や正岡子規のように結核という病に自身が苦しみ、その中から生まれた文学もある。結核が国民病と言われた時代の世の中で生きた夏目漱石や森鴎外だって同じように苦しんだ。コロナ禍でカミュの『ペスト』が読み直されていますが、歴史を振り返ると、どの時代にも象徴するような感染症の流行があって、その時代に生きた人はそれを乗り越えないといけない。その繰り返し。

今はコロナだということなんだと思います。そういうわけで、自分としてはそんなに遠いところにいたという感覚もないんですね。まあ、文学部に行かなくても、高校では理系クラスでも朝から晩まで、暇さえあれば本を読んでいましたし。

──共立薬科大学(現・慶應義塾大学薬学部)の大学院薬学研究科修士課程を修了。その後、順天堂大学の大学院医学研究科という流れになります。

岡田 大学院の修士課程の修了後、さらに勉強するにあたって2つの選択肢があったんです。ひとつは東京医科歯科大学大学院で生化学を学ぶ。もうひとつは順天堂大学大学院で免疫学をやる。両方受かったんですが、どちらに進学するかを迷ったんです。東京医科歯科大学と順天堂大学のキャンパスは2つともお茶の水にあって隣同士。大学の間の狭い道路(サッカー通り)を挟んで左右に並んでいる。

20代後半の私は、その道路に立って少し悩んだことを覚えています。どうしようかなあ、どっちに行こうかなあと。「生化学をやろうかな? それとも新しく免疫学をやるべきなのかな?」って。今振り返ると、あそこが人生の分かれ道だったんでしょうね。あのときに生化学を選んでいたら、私はもっと早く大学の先生になっていたと思うし。その方が個人的には幸せだったかもしれないし。たった数十秒ですが、道に立って考えました。

──そこで免疫学を選んだ決め手は?

岡田 修士課程では生化学をやったから、今度は免疫学にチャレンジしたい、新しい扉を開けたいと思ったんです。まだ、ちょっと頑張って新分野にトライできるかな、と。免疫はまだまだわかっていない、ミステリアスな点が多いし、感染症や病気と闘って、体を維持する重要な働きをしているという機能について知りたいとも思いました。

今は「免疫力アップ!」とよく言われるように、免疫は大切ですが、そのメカニズムは未知のところがまだ多い。一方、生化学だったら修士課程で学んでいたことの延長線上でできるから、実は楽なんです。正直、生化学のほうが自分にとっては堅実な道だったかと思います。修士課程の延長線上で酵素の研究を継続すればよかった。でも、当時の私は新しいことに挑戦したいという気持ちのほうが強かった。違う道から見える光景がどんなものなのか興味あったんです。

AUTHOR

小野田 衛


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