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UPDATE|2023/03/12

山田邦子、多忙すぎた昭和のテレビ界「朝6時に終わって朝6時スタート、何時に寝るの!?」

山田邦子 撮影/西邑泰和

冠番組を含めレギュラー10数本を抱え、テレビ業界で一時代を築き上げた「女傑」をこう評するのは失礼だが、もはや完全に再ブレイクを果たしたと言っていいだろう。3回連載の山田邦子インタビュー、2回目では、テレビ華やかなりしバブル期の思い出について語ってもらった。

【前編はこちら】山田邦子が語るコンプラ時代のお笑い「結局漫才って、おもしろいかどうか」

【写真】芸人人生を謳歌する山田邦子

自分でYouTubeを撮って出して、って時代が来るなんて、想像もしていませんでした。私が冠番組を持ってバリバリ働いてたころなんて、携帯電話すらなかったんですから。

多忙だった昭和の頃は番組のスタッフに言われるがまま(笑)。オファーを受けてバラエティやって、次は歌番組、次は時代劇。終わったことは忘れていかないと、その時やってる仕事の台本なんて頭に入らない。

正直、すごく強烈な時代だったけど、記憶に深く残っていることって少なかったりします。深く考えずに調子よく忘れていって、だから逆に続けられたのかもしれない。「毎日刺激的でおもしろいな。あ、今日はこんな素敵な人たちに会えた」みたいな。フワフワしながらやってきたんでしょうね。

めっちゃ豪快に飲んだり、遊んだこともありますよ。だけどね、そんなに頻繁には行ってられないです。当時は朝まで働いても良かったんで(苦笑)。共演者がみんな帰って私ひとり延々と再撮影。「みんな焼肉行くの? うらやましいなあ」みたいな。孤独な作業でしたよ。今思えばスタッフの人もよく付いてきてくれましたよ。

「終わり時間30時」って台本に書いてあることもザラ。朝6時のことですよ(笑)!? で、次の日は「6時スタート」って書いてある(苦笑)。何時に寝るの!? って。そうすると照明を直す時間とか、他の人の打ち合わせとか、そういう短い時間に寝ていました。というか、実際には気絶ですけどね。それでもやってこれたんだから、よく頑丈に生んでもらえたと思います。

めまいがしたり熱を出したりしても、それで止まる時代じゃなかった。うちだけじゃないだろうけど、昭和の事務所ってのは荒っぽかったですから。「家で具合悪いって休んでても一銭も儲からないよ。とにかく行ってスタジオで倒れれば、治療費が出るから」って(笑)。

テレビ局だってそうですよ。失敗したり、泣いたりしても、そういうNGを集めて番組にして稼いでたんですから。コンプライアンスなんかあったもんじゃない。毎日バカだブスだって言われてたんですから。あははは、いやあ、よく鍛えてもらった。

そもそも、短大の頃からお笑い番組にちょろちょろ出てはいたけど卒業していきなりドラマに出ましたからね。なめてますよ、偉そうに(笑)。それで宇津井健さんとか津川雅彦さんと一緒にご飯食べちゃったりして。みんな「なんだコイツ?」と思ったと思いますよ。それなのに、可愛がってくださって。


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