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UPDATE|2023/03/12

山田邦子、多忙すぎた昭和のテレビ界「朝6時に終わって朝6時スタート、何時に寝るの!?」

山田邦子 撮影/西邑泰和



「オレたちひょうきん族」も、最初からレギュラーコーナーがありました。何だったんでしょうね、本当にふざけてます(笑)。けど、クラスや町内の人気者が、明日にはスターになれるというか、そういう夢のある時代だったのかもしれませんね。

自分の冠番組がなくなってきたな、っていう時期になったら、今度はスケジュールが空いたからって、座長公演の舞台をやったりするようになりました。出演者とか内容を自分で考えてできる仕事が増えてきたんです。それも面白かったですね。

舞台って、緞帳が上がったら「生もの」だから緊張は当然するんですけど、それまでNGだろうと何だろうとたくましく稼いできた経験があるから、お客さんの前で何が起ころうとも、どうにでもできるようになっていたんです。今じゃ考えられないようなハプニングもけっこうありました。

ある時、私たちがやってる舞台のストーリーに、客席から勝手に乗っかって来る人がいたんです。私が「〇〇の権利書が無い!」っていうお芝居をしたら、毎日来ているお客さんが、話の筋を知ってるもんだから権利書作ってきちゃって(笑)。大声で「ここにある!」だって(笑)。

そんなの今やったらつまみ出されますよ。でもウケちゃってるから私も「ん、そうか!」なんて客席に降りて行って受け取る。それで「なんだ、これは偽物じゃないか!」って舞台上に戻って話をつなげたりして。いやあ、おもしろかったですね。

私はそれまでずっとピン芸をやってきたから、演者同士のチームワークみたいなものに慣れていなかったんですけど、舞台ともなるとそうはいかないじゃないですか。だからそのころから、共演者の人と一緒に何かを作り上げる、ってことに感謝するようになって、友達もどんどん増えていったと思います。

【後編はこちら】現役で寄席に立つ山田邦子「私の職業は“ネタ”。ふざけたことを一生続けるでしょうね」

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