──パニック状態に陥りながらも「これは言ってもいい」「ここまではバレていないかな?」などの計算は働いたのでしょうか?
鈴木 いや、まったく働かなかったです。自分の言った言葉がそのまま記事になるなんて想像もしていなかったから、オロオロうろたえながらも「ウザい!」とか記者の方に言っちゃって。そうした暴言もそのまま載ってしまいました(苦笑)。今思えば、せめてもう少し言葉を選べばよかったかとは思うんですけど……。
──そういったケースだと、まずは運営に報告するものなんですか?
鈴木 そうなんですけど、私はどうしても言いたくなかったんですよね。「運営さんに言わなければ記事にならない可能性もある?」とかいろんなことを考えちゃって……。もちろんそんなことはあるわけないですし、結局その日の夜には伝えました。怒られるというよりも、コンサートとかツアーも決まっていたので、目の前のお仕事をどうするのか話し合いをしました。
──その後の活動自粛期間中は何をしていたんですか?
鈴木 この時間を少しでも意味のあるものにしようと考え、中国語の勉強を始めたんですが……ダメでしたね。何も頭に入らなかった。ひたすら不安な気持ちを抱えたまま、気がついたら3カ月が過ぎていました。
──流れとしては「文春」→「活動休止」→「復帰」→「卒業」でしたよね。
鈴木 活動休止期間も、辞めようかどうかずっと考えていたんです。どうしようか本当に悩みました。だけど悩んでいても答えはまったく出ないから、とりあえず復帰することにしたんです。でも、復帰したところで悩むのは変わらなかったですね。自分が迷惑をかけたのは間違いない。大好きなグループの看板に傷をつけてしまった、だから抜けるしかないという考えがまずありまして。それと同時に「なんとか頑張っていきたい」という気持ちもあったんです。特に復帰して劇場公演をやったときは、「辞めたくない!」と強く感じました。