沖縄アクターズスクールで安室奈美恵、MAX、SPEED、DA PUMP、三浦大知らを育てたチーフインストラクターであり、AKB48などのヒット曲を担当してきた振付師でもある牧野アンナ氏。彼女が沖縄アクターズスクールを父から引き継ぐことを決意した。そこにはどんな経緯があったのか。その裏には不退転の決意が隠されていた。
【写真】壮大な夢を語る、牧野アンナ撮りおろしカット【7点】──沖縄アクターズスクールを父・マキノ正幸さんから受け継ぐ決意をされたそうですが、どういった経緯でお決めになったんですか?牧野 直接的なきっかけは、去年10月2日に開催された「沖縄アクターズスクール大復活祭~本土復帰50周年記念~」です。復活祭が終わった直後、三浦大知から「アンナさんの継承者はいないんですか?」と聞かれたんですよ。「アクターズスクールは絶対に残すべきです。あのメソッドがアンナさんの中にしかないのであれば、継承してほしい」と。
私が大知を教えていたのは、彼がまだ子供の頃でした。「当時の僕はよく分からないままに練習していました。でも大人になってから、海外も含めていろんな教えに触れたけど、アクターズスクールみたいな教え方をしているところはどこにもありません。これってすごいことだと思うんです」と言ってくれたんですよね。
──確かにアクターズスクールの教えは独特ですよね(教え方については後述)。その一言で決めたんですか?牧野 いえ、もう1つ要因があって。「大復活祭」後にホテルの部屋に戻ったら、ISSA(DA PUMP)やMAX、知念里奈がやって来て、大知と同じように「やっぱりアクターズスクールは絶対残すべき」だと言うんですね。そう言われて感じたのは、私の教えを認めてもらえたということ。残してほしいと言われるなんて、これほど指導者冥利に尽きることはありません。これはもうやらなきゃという気持ちになり、その場で継承する決断をしました。
ISSAたちは「アンナさんだけに任せるわけじゃなくて、みんなでやろう」とも言ってくれたので、朝の4時までその話題で盛り上がりました(笑)。
──牧野さんは現在、LOVE JUNX(ダウン症のある人のためのエンターテインメントスクール)を主宰しているため、東京を拠点にしながら北海道や大阪など各地を飛び回っていますよね。その上で沖縄でのスクール復活はかなり大きな選択だったと思います。牧野 LOVE JUNXは絶対に守っていくと決めているライフワークなのでそこをなくすつもりはありません。なので、最初の内は大変かもしれませんが、拠点を沖縄に移すということは考えていないです。むしろ将来的にはアクターズスクールのイベントに出てもらって、世の中に知ってもらえたらいいなと相乗効果に期待しています。
──「大復活祭」の翌日には、お父さんに「継ぎます」と宣言なさったそうですね。牧野 そうですね。父とは長く絶縁状態にありましたが、体調を崩していると聞いて、2年前の1月に再会して、和解したんです。そのときから「アクターズを継いでくれ」と何度も言ってきていたんですけど、私としては片手間でできることではないので、受け流していたんですよね。
だからすごく喜んでいました。一時期ちょっと元気がなかったんですけど、みるみる回復して、今は関わりたくてしょうがないみたいです(笑)。