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UPDATE|2024/06/13

中山秀征が振り返る若手時代の苦悩「ダウンタウンやウンナンの波に飲まれるしかなかった」

中山秀征 撮影/西邑泰和

海千山千の芸能界を肩ひじ張らないスタンスでサバイブしてきた中山秀征(56)。共演者の魅力を最大限に引き出す力は以前から定評があったが、最新の書籍『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)が発売前に重版がかかるなど、その哲学と戦略に改めて注目が集まっている。そこで本人を直撃したところ、テレビでもおなじみの淀みないトークを目の前で展開。これまでの半生からテレビの未来図まで縦横無尽に語ってくれた。(全4回の1回目)

【写真】著書でこれまでの半生を綴った中山秀征

もともと僕はABブラザーズというお笑いコンビで世に出た人間。でも、そもそも芸人志望じゃなかったんです。「第2の吉川晃司、募集!」というキャッチコピーに導かれるようにして渡辺プロダクションに入ったものの、歌はいまいちだということになり、その後は芝居も向いていないとダメ出しされた。そんな中で「これからのテレビはバラエティの時代になる」と言われ、流れでお笑いをやることになったんですね。

まだ当時はお笑いの学校なんてなかった時代だったけど、若手お笑いグループ「BIG THURSDAY」の1期生として活動することになりまして。そこで一緒になったのが、ABブラザーズで相方になった松野大介さん。あとはホンジャマカの石塚英彦さんや脚本家の三谷幸喜さん。

僕らの率直な気持ちとしては「芸人になりたい」という感じではおそらくなかったですね。実際、事務所も“芸人募集”とは謳っていなかったです。あくまでも“タレント募集”であり、エンターテインメントの人材育成だったんですよ。そもそも渡辺プロは音楽に強かった事務所だから、関西でいうところの芸人という感覚は希薄でしたしね。お笑いトリオとしてヒップアップは在籍していたけど、彼らはクレイジーキャッツの付き人からスタートした存在。ドリフターズだってベースはミュージシャンですからね。

とにかくそれでお笑いをやることになったのが17歳のとき。ただ、渡辺プロでお笑いをやろうとしたところで前例がなかったんですよ。コント赤信号あたりまではストリップ劇場で修業する流れもあったと思うんですけど、まだ時代的には渋谷『ラ・ママ』で新人コント大会が始まる前でしたし。だから下積みらしい下積みも一切なかった。BIG THURSDAYでは、アナウンサーの方について原稿を読む練習をしたり、作ったネタを見てもらったりしましたね。あとは演技やフリートークの練習とか。

AUTHOR

小野田 衛


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