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UPDATE|2022/03/19

36年間若手コントライブを主催、渡辺正行が語る「爆笑問題、初舞台の衝撃」

渡辺正行

明治大学在学中にラサール石井、小宮孝泰とコントグループ「コント赤信号」を結成したリーダーこと渡辺正行。『ひょうきん族』でビートたけし、明石家さんまらと共演し、『M-1グランプリ』では6回もの審査員を務め、どの時代も第一線で活躍している。一方、1986年からは若手お笑い芸人の育成のための場、「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。現在発売中の著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)では、バナナマンやオードリーなど数々のお笑いスターたちの若き日々を綴っている。今回、改めてその濃厚すぎる、リーダーのお笑い人生について話を聞いた。(前中後編の後編)

【前編はこちら】渡辺正行が振り返る芸人への道「きっかけは落研、先輩・立川志の輔さんの落語を見て衝撃を受けた」

【中編はこちら】渡辺正行が語るコント赤信号ブレイク前夜「 “漫才ブーム” で勝つために、時代の笑いを分析」

【写真】どの時代も第一線で活躍する、リーダーこと渡辺正行の撮り下ろしカット

──渡辺さんは1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主催して、36年間に渡って若手芸人を間近で見守ってきました。

渡辺 お笑いって大体こういう形だろうなと思っていても、どんどん新しい笑いであるとか、新しいキャラクターであるとか、新しいグループであるとか、一味違うセンスであるとか、どんどん変わっていくんですよね。それが面白いんです。コント赤信号が世に出た頃は、まだ家庭にビデオも普及していなかったので録画もできない時代でした。

でも今の子たちは、過去から現在までのお笑いを映像で触れることができて、子どもの頃からお笑い芸人を目指して、どんどん新しいものを作っているので、自然と笑いが変化していくんですよね。それを生で見ていられるのは、すごく勉強になります。

──幾つになっても柔軟に新しい笑いを受け入れられるのはすごいなと思います。

渡辺 僕らはゆーとぴあさんにチャンスをもらって、勉強会などでアドバイスをしてもらったおかげで面白くなっていきました。「ラ・ママ新人コント大会」を始めたのは僕が30歳のときなんですけど、そもそものきっかけは、僕が座長を務めていた「劇団七曜日」の劇団員から、「若い子たちにお笑いを教えてほしい」と言われたからなんです。

ただ僕は、とても教えられるような人間じゃないから、「若手の出られる場を作りましょう」と。そこで、僕たちがゆーとぴあさんにしていただいたように、ネタを見てアドバイスもできればいいなと考えたんです。

だから僕は場を作っただけで、若手を育てようという気持ちで始めた訳ではないんですよね。それが今も続いていて、だんだん出演者も多くなっていったんです。若いときって僕らもそうでしたけど、自分たちの何が面白いのかとか、どこが魅力で、どこがマイナスなのかって客観的に見れていなかったりするんですよね。それに対してアドバイスをしますが、変わっていくかどうかは自分たち次第なんです。

AUTHOR

猪口 貴裕


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