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UPDATE|2022/03/19

36年間若手コントライブを主催、渡辺正行が語る「爆笑問題、初舞台の衝撃」

渡辺正行



──『関東芸人のリーダー』によると、ダウンタウンの登場でコント赤信号のネタを書かなくなったそうですが、新しい才能を認める悔しさみたいなものはなかったんですか?

渡辺 悔しさよりも、「こいつらすげーな」って思いました。それまで自分の中で、大阪の方ってパワーとテクニックと言い方で笑わせるから、発想力で笑いを取るってイメージがなかったんです。ところがダウンタウンさんはシュールで新しかった。大阪で若い人たちが、今までと全く違う漫才を確立しているんだから、俺たちが頑張っても勝てるものじゃないなって。すごい才能が出てきたんだから、俺たちがお笑いの世界にいるよりは、若い人たちが出てきたほうがいいなって思いましたね。

──小宮さんとラサール石井さんも同じ気持ちだったのでしょうか?

渡辺 後で聞いたらそうだったみたいです。勝ち負けで言うと、完全に負けたなと。特に話し合いはしなかったんですけど、それまで自分たちで企画していた単独ライブもやらなくなりました。かと言って解散する理由もなかったので、1984年に「赤信号劇団」を旗揚げして、作・演出は別に立てて、コントではなくお芝居に移行していきました。

──渡辺さんは一貫してお笑いに関わっていますが、長く続けられるモチベーションは何でしょうか?

渡辺 そんなに長くやると思っていなかった「ラ・ママ新人コント大会」が今も続いていて、時代に合わせて笑いが変化していく。それを常に肌で感じていられるのは、自分でも勉強になるんですよね。あと出番前に緊張している若手が、いざ舞台に立って爆笑をとっているとうれしいし、逆にウケなかったときは、これだとスベっちゃうんだ、もったいないなと自分のように悔しがる。

一緒にやっているような感覚になれますし、自分も若手時代はそうだったので、刺激的で面白いんです。ガチガチではないユル~いライブだからこそ、みんなの中に「お客さんに楽しんでもらおう」という気持ちも共有されていますし、それが続けてこられた理由なのかなと思います。
AUTHOR

猪口 貴裕


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