業界視聴率も高くお笑い通なら必ずチェックする「ゴッドタン」(テレビ東京)、「さんまのお笑い向上委員会」(フジテレビ)で鮮やかに結果を残し、いよいよ本格ブレイクの兆しが見え始めた遅咲きのピン芸人・みなみかわ。少年時代のお笑い原体験から、売れかけては沈んできた芸人人生を本人の言葉でプレイバックしてもらった。(前後編の後編)
【前編はこちら】みなみかわが松竹芸能を選んだ理由「ここやったら多分一番になれる」──前編では前コンビ・ピーマンズスタンダードの結成までお話をお聞きしました。ただ、みなみかわさんが世に出たのはコンビではなく、ピン芸でした。みなみかわ それまではとがりにとがって周りの人にも迷惑かけてたんで、コンビ芸人でやるとなってからはユニットライブに出たり先輩後輩とも付き合ったりいろいろ頑張ってやったんですけど、ただコンビ仲がどうしてもよくならなくて(笑)。ある時、相方が病気でライブに出られなくなったことがありまして。今やったら「しゃあないな」ですけど、当時は「ズル休みすなよ!」くらいに思って(苦笑)。それで溜めてたネタをバーッと箇条書きにして、2時間ぐらいでピンネタを作ったんです。
それが「韓国のバックダンサー」っていうネタで。ライブでもめっちゃくちゃウケて、R-1でも勝ち上がって準決勝まで行けた。そこで「あらびき団」(TBS)に拾ってもらえたんです。コンビ組んだのが05年で、あらびき団が08年くらいでしたね。
──コンビ名の変名で「アイヒマンスタンダード」というキャラでしたね。深夜とはいえ人気お笑い番組に出ることが出来たわけですが、当時はどんな心境でしたか。みなみかわ 全国ネットの番組に出たのは初めてやったから、もちろんうれしかったです。けど僕としては「このピンネタは当然限界が来る。それも近いうちに来るはずや」という考えもあって。だからそれまでにコンビとしての何かを作っておいた方がいいだろう、と。「あらびき団」に出たことで「コンビバランスどうしようかな」という悩みもあったりしながら、コンビのネタを作ってた。そんな時期でしたね。