FOLLOW US

UPDATE|2022/08/07

チャンス大城、自殺を考えた過去の自分へ「ダウンタウンさんに会えた、生きててよかったよ」

チャンス大城 撮影/松山勇樹



──その部分とは?

大城 人の名誉にかかわるので詳しくは書けなかったのですが、僕は2009年にある派閥に巻き込まれて人間関係をしくじってしまって、気づいたらうつ病になっていました。まず、アルバイトに行けなくなった。ご飯も全然食べられない。考えるということができなくなって、家に帰ろうと思ってもなぜか全然違う方向のバスに乗ってしまっている。そんなときに、長州小力さん率いる西口プロレスの二軍の試合に出るという仕事が「阿佐ヶ谷ロフトA」というところでありまして。

阿佐ヶ谷の商店街まではなんとか行ったんです。商店街に入ってすぐに、ローソンの側の自動販売機で、「今から樹海に行って死ぬか、阿佐ヶ谷ロフトAに行くか」という二択を1時間ぐらい真剣に悩んでいました。もちろんプロレスを戦える状態ではなかったけど、後輩と一対一のシングルマッチだったので穴を空けたらかわいそうだと思って、無理やり行ったんですけど体が動かない。

──それでもリングに立った。

大城 はい。そして、プロレスは僕が勝ったんです。そしたら後輩が急に出てきて「おいっ!」って、急にマイクパフォーマンスをしてきたもんですから、「俺な、明日樹海に行って自殺するんだよ! だから来月は挑戦できねーぞ!」って言い返したら、ドカーンってウケたんです。僕は真剣に喋っているのに、「やっぱりチャンス大城ってシュールなこと言うよな、やるな~」みたいな感じでお客さんに思われちゃって…。

それから10何年間、心境的に阿佐ヶ谷という場所が嫌で避けてきましたが、昨年やっと、あの2009年頃の自分にちょっと会いたいなぁと思えたので、阿佐ヶ谷の自動販売機のところに行きました。当時死のうとしていた僕に、「あれからダウンタウンさんにも会えて、さんまさんの番組にも出させてもらって、死ななくてよかったよ」って伝えることができました。

──当時は、とても辛い時期だったと思いますが乗り越えられたんですね。

大城 はい、本当にしんどかったです。でも、こんなことを書くと、「悲劇のヒーローぶっている」とか、「簡単に死ぬとか書くな」とか言われるかもしれない。でもやっぱり、あの日、阿佐ヶ谷の自動販売機横で死を悩んだくだりは本に書けてよかったです。

取材・文/富田陽美

▽チャンス大城
ちゃんす・おおしろ 本名は大城文章。1975年1月22日生まれ。兵庫県出身。NSC8期・13期生。8期生の同期には千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎などがいる。芸歴33年にして、現在、『水曜日のダウンタウン』、『さんまのお笑い向上委員会』など数多くのバラエティー番組に引っ張りだこ。「この前、マクドナルドの方が番号札渡すときにこそっと『いつも観てますよ』と言ってくれた。街を歩いていてもガードマンさんや、映画館のもぎりの人にも言われる。顔を刺されるまでに33年かかった。刑務所に入った人が刑期を終えても『お前まだ売れてないのか!』ぐらいの長さやったなぁ」と、知名度が上がった現状に喜びの声。また、「道でコソコソされることも多くてね。一期一会やし、こちらから声かけるわけにもいかないから声かけてくれてもいいのに」とも。そんな気遣いができる人間だからこそ、いろんな事件に巻き込まれるのかもしれない。

【後編はこちら】チャンス大城が語る壮絶人生「千原兄弟さんがいなかったら100%芸人を辞めていた」

RECOMMENDED おすすめの記事