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UPDATE|2022/10/03

100万円馬券的中で話題・キャプテン渡辺が語る芸人としての迷走「R-1決勝に残ったのに」

キャプテン渡辺 撮影/松山勇樹



「UWFインターナショナル(※高田延彦や桜庭和志らが所属したプロレス団体。96年解散)の練習生になったんですよ。お笑いも大好きだったけど、当時は『プロレスラーを引退してからでもお笑いタレントになれるだろ』ってバカみたいなことを考えてたんで。でも、入って2カ月のスパーリングで腕の骨を折って入院。戻っても、練習生が僕1人だけだったから、雑用も全部やらされる。重た〜いご飯の釜とかを毎日運んだり。折れた骨は半年以上くっつきませんでした。スクワットや腕立て腹筋みたいな基礎練習はいいんですよ。まだ若かったから、やっていればこなせてしまう。でもスパーリングはとにかくきつかったです。腕が完治して、久しぶりにスパーしたら、もう全然ついていけませんでしたね。それで入って1年2カ月で夜逃げしました(苦笑)」

「やっぱりお笑い芸人になろう」。そう決意して、大阪にある放送系の専門学校に入学した。それと同時に、20歳を機に競馬、パチスロも覚えた。学校は2年で卒業したが、校内で組んだお笑いコンビは卒業とともに相方が辞め、解散した。

「24歳まで大阪にいましたが、週末に競馬して、それ以外の日はパチスロ。『大花火』って台が楽しくて。借金まみれでしたね。『これじゃいかん!』と思って、東京にいた学校の先輩を頼ってもう一回上京したんです。売れるからには東京に行くしかない、と思って、その先輩とコンビを組んで。でも、東京にもパチスロはあるんですよ(苦笑)」

結局ギャンブルから足を洗うことはなく、ほどなくそのコンビも解散。組んでは別れ、という売れない芸人街道をまっしぐらにひた走った20代だった。そしてトリオ芸人「キラッキラーズ」を2010年1月に解散し、以後、ピン芸人・キャプテン渡辺として活動することになる。もう35歳、決して若手とは言えない年齢だ。しかし、人生は何が起きるかわからない。

「僕なんて、トリオの時は一番『じゃないほう芸人』だったんですよ。でも、ピン芸人になってからは順調でしたね。当時やってたのが、パチンコの『海物語』シリーズに出てくるキャラに扮してパチンコあるあるを言うネタで。まあウケました。よくライブで一緒だったじゅんいちダビッドソンなんかは、『当時のキャプテン以上にウケてるピン芸人をいまだに見たことない』って言うくらいですから(笑)。トリオ解散直後の『R-1』は準決勝まで行って、その翌年に、決勝に残れました。ある意味では、売れない時代のどうしようもない日常が、今の僕の漫談のネタの原点になってるんですけど、それがウケて翌年も2年連続で『R-1』決勝に残れて。こりゃもう売れるだろ、って自分でも思ってました(笑)」

だが、そのままスター芸人になれるほど、お笑いの世界は甘くはなかったのだ。(後編に続く)

【後編はこちら】SMA芸人・キャプテン渡辺が語るハリウッドザコシショウという存在「芸人としての理想」

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