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UPDATE|2022/10/03

SMA芸人・キャプテン渡辺が語るハリウッドザコシショウという存在「芸人としての理想」

キャプテン渡辺 撮影/松山勇樹

競馬好きなら誰もが知る存在。しかしお笑い芸人としては、2011年、12年と「R-1ぐらんぷり」(フジテレビ系)決勝に連続出場して以降、本人曰く「迷走していた」という男が、11年振りに単独ライブ「漫談スタイル」(10月4日、「座・高円寺2」にて)を敢行する。競馬界ではノリにノッている今、あえて「お笑い」に正面から向き合ったキャプテン渡辺に話を聞いた。(前後編の後編)

【前篇はこちら】100万円馬券的中で話題・キャプテン渡辺が語る芸人としての迷走「R-1決勝に残ったのに」

【写真】100万円馬券的中で話題・キャプテン渡辺

絶頂期からの転落は、2度目の「R-1ぐらんぷり」決勝の舞台から始まった。

「まあスベりましたね(苦笑)。スベりすぎた。自分が面白いと思うネタで、ライブでも鉄板だったのに。そこからあんまり、ネタを作るのが楽しくなくなりました。当初はピンになってすぐってこともあって、芸人1年目みたいな気持ちでネタを作ってたのに、『テレビにウケるネタを作らなきゃ』とかヘンな知恵を付けちゃって。ボクシングを覚えたボブ・サップが逆に弱くなったみたいに、前の自分のネタに勝てるネタが作れなくなりました」

間の悪いことに、世間に認知されたタイミングでもあり、仕事も徐々に入り始めていた。振り返れば、明らかにハングリー精神が薄まっていた。

「売れたとしても、その後にどうにかできる腕がない、と自分で思ってたこともあって、『絶対にこのチャンスをつかんでやる!』という気も正直言えばなかったです。ありていに言えば、売れることが怖かった。それに本当にありがたいことですけど、『ウイニング競馬』(テレビ東京)のレギュラーを始め競馬関連の仕事があるおかげで暮らしてはいけるし、やめるとかやめないとか、そういうことを一切考えませんでしたね。良くも悪くも、健やかな気持ちで芸人を続けていました。ただやっぱり、ネタに対するアプローチは弱まっていたと思いますね」

芸人であることを辞めたわけではない。月に1本はライブで新ネタを考えていた。当然、13年以降も「R-1」にチャレンジし続けていた。しかし、結果は出なかった。そしてその間、同じ事務所の先輩、後輩がどんどん売れていった。


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