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UPDATE|2023/03/30

みりちゃむの半生「初めてピアスを開けたのは中学、いじめで学校に行かなくなったことも」

みりちゃむ 撮影/荻原大志



「中2の夏休みから、いろいろなオーディションを受けるようになって、何かしらの賞をもらうようになりました。ギャル雑誌の『Ranzuki』(ランズキ)も受けたんですけど、ちょうどそのタイミングで雑誌が休刊することになって、そこでも賞はもらったけど、雑誌に出ることはできませんでした。そうやってオーディションを受けていることは、学校では誰にも言ってなかったんだけど、クラスの一軍女子みたいな子がどこかから情報を拾ってきたみたいで。

それで、自分よりも目立つ女は許さない!みたいな感じでいじめが始まって、一時期は学校に行かなくなりました。中3になって、また学校に通うようにはなったけど、いつも一人でした。でも親が協力的で、『やるならとことんやりなさい。バックアップはいくらでもするから』ってスタンスだったので、ありがたかったですね」

中学2年生の冬、とある事務所に所属して、アイドルグループの育成プロジェクトに参加、芸能活動のスタートを切った。

「アイドルグループなのに、なぜか私も含めて3人ギャルがいて(笑)。髪やメイクも自由にやらせてもらっていました。ライブ活動もしていたんですけど、意外とギャル好きのおじさんが多かったんです。ただアイドル活動は性に合わなくて、ちょうど高校生になるタイミングというのもあって1年で辞めました」

高校は芸能活動を優先するために通信制を選んだ。

「中学生の頃は、そんなに仕事があった訳じゃなかったんですけど、たまに学校があるから行けないってこともあって。それって嫌だな、活動の幅が狭くなっちゃうと思って、いつでも仕事に行けるように通信制を選びました。そしたら高校生になって、すぐにeggモデルになったんですよ。その当時いた事務所のマネージャーに『egg』から連絡があったのをきっかけに撮影に呼んでもらって、そのまま専属になって。

もともと雑誌の専属モデルを目指してやってたんで、それが叶えられたのはうれしかった。それにギャルしかいないという環境が、すごく楽しくて。やっぱギャル同士ってマインドが合うんですよ。普通の子って自分がどう見られているのか、周りをめっちゃ気にするんですよ。ギャルはそういうのが一切なくて、自分の好きなものを貫くし、別にどう思われてもいいじゃんというスタンスだから、一緒にいてすごく楽」

みりちゃむの名が一躍轟いた「佐久間宣行氏のNOBROCK TV」だったが、当初、所属事務所は出演に消極的だった。

AUTHOR

猪口 貴裕


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