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UPDATE|2023/04/10

CAからグラドルへ転身、三カ国語を操る才女・橘和奈「人前で水着になるのも初めて、不安も」

撮影/松山勇樹


――いつ頃からグラビアを見るようになったんですか?

橘 高校生の頃からです。可愛いし、メイクの勉強にもなるし、ずっと憧れでした。憧れの存在だからこそ、自分がグラビアアイドルになるなんて滅相もないって思っていました。

――客室乗務員は小さい頃から目指していたんですか?

橘 小さい頃から憧れていて、夢を叶えるために留学もしました。私は福島県の南相馬市出身なんですけど、小学6年生の時に東日本大震災で家がなくなってしまって、家族6人で仮設住宅に住んでいたんです。正直、あまり勉強できる環境ではなくて……。狭い空間で仕切りもなく、雑魚寝状態で何年も過ごしていたので、ちゃんと勉強したいなと思って支援してくれる団体に作文を送って、支援金でアメリカの高校に行かせていただきました。ホームステイして、英語の勉強をして、高校卒業後は日本に戻って仙台の大学に入学したんですけど、すぐに姉妹校だった上海の大学に留学して、中国に3年弱ぐらい行きました。

――高校生になってからは、ほとんど日本にいなかったんですね。アメリカ留学はどこに行ったんですか?

橘 ミネソタです。日本人が一人もいないような田舎で、高校にも私以外、一人も日本人はいませんでした。全く英語を話せないで行ったんですけど、人間って慣れるもので、半年ぐらいで話せるようになりました。

――ホームシックにはならなかったんですか?

橘 一か月ぐらいは寂しかったですし、上手くコミュニケーションも取れないので大変でした。携帯電話も日本に置いて行ったので、誰とも連絡を取らなかったんです。それにミネソタは白人が多くて、アジア人はほとんどいないので、最初はあたりもきつかったですけど、すぐに慣れて楽しかったです。私は幼稚園の年中からチアリーディングをやっていたんですけど、アメリカでも続けました。

――アメリカ留学中、日本に戻ることもあったんですか?

橘 留学中は一度も帰りませんでした。お金もないですし、旅費がもったいなかったのもあります。ただ携帯電話を持っていなかったので、ほぼ写真も撮ってなくて、3年間の思い出は頭の中だけなんです(笑)。

――日本に戻った時、家族も驚いたんじゃないですか?

橘 背も伸びましたし、性格も明るくなって、かなり驚いていました。アメリカ留学も急に決まって渡米したので、もう遠くに行かないでほしいと言われたんですけど、大学生になって半年で中国に行きました(笑)。

――中国に留学した理由は?

橘 語学を学びたかったからです。中国語を覚えるのは、英語よりも大変でしたね。でも大学時代はiPhoneがあったので、翻訳アプリに助けられました。今でも中国語は勉強しているんですけど、本当に難しいです。奨学金で行ったので生活が大変で、中華料理店でアルバイトをしていました。餃子や小籠包を作るのは得意です(笑)。最後の1年間は仙台の大学に通っていたんですけど、ずっと日本を離れていたので、家族と過ごす時間を大切にしていました。
AUTHOR

猪口 貴裕


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