電車の中の迷惑な人たち、言うならば社会のクズみたいな奴らには制裁を加えるべき。そんな考えを推し進めたら社会がどうなるかということまで描いてみせるのが、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』 です。
先ほどの『イエスマン』は、人生に対して「北風と太陽」でいうところの太陽的な生き方ですよね。『ジョーカー』の主人公であるアーサーも、最初は太陽側の人だったんです。それが貧富の差や家族の問題に陥ってしまい、仕事もうまく行かないことで社会的に追い詰められていく。
そして、ある日電車に乗っていた時に、3人組のサラリーマンに絡まれてボコボコにされてしまう。彼ははそこで何かがプチンと切れて、銃で反撃してしまうんです。
アーサーは犯罪者となって追われてしまうわけですが、「よくぞ生意気な連中を射殺してくれた」という称賛の声も出てくる。そんな民衆の想いを背負わされ、さらに自らの葛藤によって、アーサーは「ジョーカー」となっていってしまうのです。
この映画が示唆しているのは、社会全体の構造として、必ずどこかに悪のマインドが蔓延っているということです。正義がいるから悪が生まれる。そのどちらでも無い人々も、流されるように反社会的な行動を起こしてしまう。
で、相談者さんに戻ると、電車の中でイラっときたのは「正義」だと思うんです。こんなオジサンはいなくなればいいのにという「怒り」もあります。でも、そういった感情というのは慎重に扱わなきゃいけない。
それぞれが正義を主張するほど、悪が増幅して社会が崩壊していくということを、この映画は教えてくれます。
『ジョーカー』は、処方箋としてはかなり劇薬かもしれませんが、『イエスマン』とセットで観ることで、より考えさせられる部分はあると思います。どちらも極論ですが、その生き方を突き詰めるとどうなるのかまでを描いているので、ぜひ観てほしいです。
その上で、イエスマン対ジョーカー、この2人が戦ったらどちらが勝つか、みたいなことまで考えられたら面白いですね。
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